2018年12月26日

横山大観

 今年は、日本画の巨匠・横山大観の生誕150周年です。富士山の名画を数多く残した彼には、大山に吹き荒れる雪嵐のような日々があったそうです。
 東京美術学校(当時)への赴任中、恩師・岡倉天心が讒言により排斥されました。義憤に燃えた大観は師を追って辞職し、天心が創立した日本美術院に参加しました。しかし、院は財政難に。離れていく者も続出したのです。やむなく院は茨城の五浦に移動。世間から「都落ち」と嘲笑されました。
 その中で大観は、輪郭線を描かず色をぼかして重ねる手法「朦朧体」を確立しました。だが猛烈な批判を浴びたのです。その為、絵は全く売れませんでした。魚を釣って飢えをしのいだそうです。家も焼失。肉親や親友が相次いで他界し、恩師・天心も亡くなりました。それでも大観は芸術への情熱を燃やし続け、作品を次々と発表しました。徐々に評価は高まり、画壇の重鎮と仰がれるようになったのです。  

Posted by mc1460 at 14:56Comments(0)TrackBack(0)つぶやき