2018年03月11日
東日本大震災7年
東日本大震災7年です。宮城のある婦人の家は、津波で自宅が高さ2メートルまで浸水しました。塀や物置は流されました。だが、水が引くと花壇の跡が残っていたそうです。“この地に踏みとどまって復興しよう”と決めた彼女は、震災の年から再び花を育て始めたそうです。
1年目に花を付けたのは数輪でした。その種を増やし、地域住民のほとんどが避難した地で、今も花を育て、咲かせ続けています。「年ごとに、咲く花の種類も数も増えました。そのおかげで花を見に来る人の数と、皆の笑顔も増えました」と。
詩人リルケはうたった。「記念の碑を建てるな。ただ年々に かれのためにばらを咲かせよ」(生野幸吉訳)と。
1年目に花を付けたのは数輪でした。その種を増やし、地域住民のほとんどが避難した地で、今も花を育て、咲かせ続けています。「年ごとに、咲く花の種類も数も増えました。そのおかげで花を見に来る人の数と、皆の笑顔も増えました」と。
詩人リルケはうたった。「記念の碑を建てるな。ただ年々に かれのためにばらを咲かせよ」(生野幸吉訳)と。