2017年08月23日
証言
1945年(昭和20年)8月、陸軍兵器学校の学徒として、広島の兵舎にいた男性が生前、語っていた証言です。
終戦直後の8月24日。故郷へ帰るため、広島駅へ向かった。その途中、霧雨が降りだした。突然、周囲の景色が明るくなったように見えたそうです。原爆で亡くなった人々の遺体から、染み出した物質が燃えているのか、赤や青の炎が上っていた。それは〝もっと生きたかった〟という無念さを訴えかけるようだった。思い出すのもつらく、長く胸の内にしまっていたという。
終戦直後の8月24日。故郷へ帰るため、広島駅へ向かった。その途中、霧雨が降りだした。突然、周囲の景色が明るくなったように見えたそうです。原爆で亡くなった人々の遺体から、染み出した物質が燃えているのか、赤や青の炎が上っていた。それは〝もっと生きたかった〟という無念さを訴えかけるようだった。思い出すのもつらく、長く胸の内にしまっていたという。