2017年06月29日
自身の殻を破ろう
アフリカ・ソマリアの難民キャンプで食糧の配給を待つ、やせこけた少年がいた。写真家の長倉洋海氏は劇的な写真になると思い、レンズを向けました。少年は浮き出たあばら骨を両腕で隠し、人波に隠れました。やせた自分の姿を恥じた少年は〝被写体〟ではない。自分と同じ人間なんだ、と長倉氏は気付いきました。
別の機会に、いかにも〝難民の少女〟らしい、やせ細った少女を撮ろうとした。ところがその時、少女はにっこりほほ笑んだそうです。長倉氏は「『難民らしい』写真を撮ろうとしていた私の意図は、その少女のほほえみにうちくだかれました。私は自分がたまらなくはずかしくなった」と(土方正志著『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』偕成社)
取材の場面ならずとも、誰にも似たような経験がある事でしょう。「現場」に行き、人に接するということは、ある意味で、知識をもとにつくった視点、見立てを軌道修正していく作業ともいえます。足を運び、会わなければ気付かないことは、たくさんあるのです。
「人と出会える一日は百日分の価値がある」。そんな言葉が、アフリカにはあります。手紙やメールでつながるのもいいが、「会う」ことで得る「発見」「気付き」を大事にしたいものです。それが自身の殻を破り、成長するための糧となるからです。
別の機会に、いかにも〝難民の少女〟らしい、やせ細った少女を撮ろうとした。ところがその時、少女はにっこりほほ笑んだそうです。長倉氏は「『難民らしい』写真を撮ろうとしていた私の意図は、その少女のほほえみにうちくだかれました。私は自分がたまらなくはずかしくなった」と(土方正志著『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』偕成社)
取材の場面ならずとも、誰にも似たような経験がある事でしょう。「現場」に行き、人に接するということは、ある意味で、知識をもとにつくった視点、見立てを軌道修正していく作業ともいえます。足を運び、会わなければ気付かないことは、たくさんあるのです。
「人と出会える一日は百日分の価値がある」。そんな言葉が、アフリカにはあります。手紙やメールでつながるのもいいが、「会う」ことで得る「発見」「気付き」を大事にしたいものです。それが自身の殻を破り、成長するための糧となるからです。