2018年01月26日
どう乗り切るか
リーマン・ショック後も続く不安定な経済状況を、どう乗り切るか。日本有数の企業グループで、社内報の編集に携わる男性は、祈り、自分の立場でできることを考え、社長に提案したそうです。全国の工場に社長自ら足を運び、製造現場の従業員と、胸襟を開いて語り合う企画でした。
快諾した社長は、「現場のことがよく分かる」と喜び、工場の従業員も、課題の解決へ一緒に頭を悩ましてくれることに大満足。社内報のこの企画が、経営トップと現場の距離を縮め、会社が一枚岩で苦境を乗り切る契機にもなったそうです。
快諾した社長は、「現場のことがよく分かる」と喜び、工場の従業員も、課題の解決へ一緒に頭を悩ましてくれることに大満足。社内報のこの企画が、経営トップと現場の距離を縮め、会社が一枚岩で苦境を乗り切る契機にもなったそうです。
2018年01月25日
幸福感が高かったそうです
大震災を経験し、幸せの在り方を見直す機運が日本社会に広がっています。「絆」という言葉の“再発見”しかりですね。
心理学でも「幸福とは何か」という研究テーマが近年、話題だそうです。こんな実験が紹介されていました。集団を三つに分け、それぞれ9週間、①感謝したこと②面倒だったこと③起こった出来事、を記録させる。最も満足度が高く、かつ健康状態も良いのは「感謝したこと」を記録する集団だった。また、「人に親切にしたこと」を記録するグループと、何もしないグループでは、前者の方が幸福感が高かったそうです(『幸せを科学する』大石繁宏著、新曜社)
一方、幸福感の低い人には、他者と比較して自己評価を下す傾向が強いことも、同書では紹介されています。
心理学でも「幸福とは何か」という研究テーマが近年、話題だそうです。こんな実験が紹介されていました。集団を三つに分け、それぞれ9週間、①感謝したこと②面倒だったこと③起こった出来事、を記録させる。最も満足度が高く、かつ健康状態も良いのは「感謝したこと」を記録する集団だった。また、「人に親切にしたこと」を記録するグループと、何もしないグループでは、前者の方が幸福感が高かったそうです(『幸せを科学する』大石繁宏著、新曜社)
一方、幸福感の低い人には、他者と比較して自己評価を下す傾向が強いことも、同書では紹介されています。
2018年01月24日
旧・中島本町
戦時中の広島を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」を観たことがありますか?
「何でもつこうて、暮らし続けにゃならんのですけぇ」――主人公・すずの日常を描いた作品です。監督の片渕須直氏は、当時の天気、店の品ぞろえから、空襲警報の発令時刻に至るまで徹底して調査したそうです。
映画では旧・中島本町の庶民の暮らしぶりも丁寧に描かれています。この繁華街では原爆で458人が犠牲になり、現在は広島平和記念公園の一部になっていることはあまり知られていません。
「何でもつこうて、暮らし続けにゃならんのですけぇ」――主人公・すずの日常を描いた作品です。監督の片渕須直氏は、当時の天気、店の品ぞろえから、空襲警報の発令時刻に至るまで徹底して調査したそうです。
映画では旧・中島本町の庶民の暮らしぶりも丁寧に描かれています。この繁華街では原爆で458人が犠牲になり、現在は広島平和記念公園の一部になっていることはあまり知られていません。
2018年01月23日
百花の魁
東京は昨日、すごい大雪でした。厳しい寒さが続きますが、都内の公園では、梅のつぼみがほころび始めたそうです。どの花にも先駆けて咲くことから、梅は「百花の魁」とも呼ばれています。
「明治六大教育家」の一人である新島襄は梅を愛したことでも知られています。彼が詠んだ漢詩に「真理は寒梅のごとし あえて風雪を侵して開く」と。風や雪に耐えて咲く梅のように、あえて逆境や苦難に挑み、乗り越えていく心を、彼は「敢為(かんい)の精神」と呼んだのです。
「明治六大教育家」の一人である新島襄は梅を愛したことでも知られています。彼が詠んだ漢詩に「真理は寒梅のごとし あえて風雪を侵して開く」と。風や雪に耐えて咲く梅のように、あえて逆境や苦難に挑み、乗り越えていく心を、彼は「敢為(かんい)の精神」と呼んだのです。
2018年01月22日
ありがとう
マレーシア・ボルネオ島の先住民プナン族は、「ありがとう」を意味する言葉を持たないそうです。
それは“互いに助け合うのは当然”と皆が思っているから、言う必要がないのだといわれています。ただ、多様な考えを持つ人々が触れ合う社会では、なかなかこうはいかない事でしょう。人々の心を潤す「ありがとう」は、やはり大切ですね。
それは“互いに助け合うのは当然”と皆が思っているから、言う必要がないのだといわれています。ただ、多様な考えを持つ人々が触れ合う社会では、なかなかこうはいかない事でしょう。人々の心を潤す「ありがとう」は、やはり大切ですね。
2018年01月21日
日記をつけることを習慣
「時代の飢餓感にボールをぶつける」。自身の創作活動を、そう表現したのは作詞家の阿久悠さんでした。作詞とは「時代のなかで変装している心を探す作業」と(『書き下ろし歌謡曲』岩波新書)
「幸福」という言葉一つとっても、人々の考える意味は時代によって変わる、と阿久さんは言っています。おなかが満たされていること、欲しいものが手に入ること、友人や家族と楽しく過ごすこと――。それを知るために、阿久さんは後半生の二十数年間、日記をつけることを習慣にしていたそうです。
書きとどめたのは主に日々のニュース。世界情勢、経済の動向や、天気、スポーツの結果など。毎日の記録で「昨日と違う今日の確認」をしたそうですと。ささいな出来事から時代の変化を洞察する。そうして人々が待ち望む言葉を世に送り続けたのです。
「幸福」という言葉一つとっても、人々の考える意味は時代によって変わる、と阿久さんは言っています。おなかが満たされていること、欲しいものが手に入ること、友人や家族と楽しく過ごすこと――。それを知るために、阿久さんは後半生の二十数年間、日記をつけることを習慣にしていたそうです。
書きとどめたのは主に日々のニュース。世界情勢、経済の動向や、天気、スポーツの結果など。毎日の記録で「昨日と違う今日の確認」をしたそうですと。ささいな出来事から時代の変化を洞察する。そうして人々が待ち望む言葉を世に送り続けたのです。
2018年01月20日
人間教育
雪晴れの日曜の朝、ジャージー姿の高校生たちが、歩道橋の階段に残る雪を掃いていました。「今日は学校?」と話し掛けると、「野球部の朝練です!」と元気な返事と白い息。「グラウンドが使えないと練習できないね」と言うと、彼らは胸を張って答えた。「これも練習です」と。
上達に技術の習得は大事です。だが、それ以上に「人間教育」ともいうべき“心の修練”が大切だと彼らの言動に教えられました。
有名な進学校の私立灘校で50年間、国語の教師を務めた橋本武さんも、同様の考え方を持っていました。教科書ではなく、1冊の小説を中学の3年間かけて学ぶというユニークな授業には、深い信念があった。「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」「何とか生徒の心に生涯残って、生きる糧となる授業がしたい」(『一生役立つ学ぶ力』日本実業出版社)
上達に技術の習得は大事です。だが、それ以上に「人間教育」ともいうべき“心の修練”が大切だと彼らの言動に教えられました。
有名な進学校の私立灘校で50年間、国語の教師を務めた橋本武さんも、同様の考え方を持っていました。教科書ではなく、1冊の小説を中学の3年間かけて学ぶというユニークな授業には、深い信念があった。「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」「何とか生徒の心に生涯残って、生きる糧となる授業がしたい」(『一生役立つ学ぶ力』日本実業出版社)
2018年01月19日
グリーンベルト運動
アフリカで4000万本の植樹を推進した「グリーンベルト運動」。その創始者のワンガリ・マータイ博士は、人間の底力を引き出す“触発の闘士”だった。
果敢に権力と戦い、草の根の対話に身を投じる博士の熱情に触れ、一人また一人、自然を守る“緑の勇者”に変わったのです。自らの運動を、彼女はこう振り返っています。「民衆のために何かしてあげたい」という気持ちではなく、「民衆とともに汗すること」に徹したからこそ、人々の力を引き出せたと(福岡伸一訳『モッタイナイで地球は緑になる』木楽舎)
果敢に権力と戦い、草の根の対話に身を投じる博士の熱情に触れ、一人また一人、自然を守る“緑の勇者”に変わったのです。自らの運動を、彼女はこう振り返っています。「民衆のために何かしてあげたい」という気持ちではなく、「民衆とともに汗すること」に徹したからこそ、人々の力を引き出せたと(福岡伸一訳『モッタイナイで地球は緑になる』木楽舎)
2018年01月18日
積雪対策
「積雪対策」にあるように、積雪時の事故は「屋根雪」に関する割合が高く、山形では7割以上だそうです。屋根やはしごから転落したり、屋根の雪が一気に落ちたりすれば、大けがにつながります。雪下ろしの際にはヘルメットを着用し、2人以上で行うなど細心の注意を払いたいものです。
都心をはじめ雪に慣れない地域では、いっそうの注意が必要です。歩道に雪が積もると、車道との段差や側溝が見えにくい。バス停やタクシーの乗降場所も、雪が踏み固められ、滑りやすくなります。雪道を歩くポイントは、地面に垂直に足を踏み出し、重心をやや前へ。靴の裏全体を路面に付け、歩幅を狭くすることだそうです。
何より“自分は大丈夫”という油断が事故の温床になります。普段から危機意識を高めることが事故を防ぐ最善の方法でしょう。
都心をはじめ雪に慣れない地域では、いっそうの注意が必要です。歩道に雪が積もると、車道との段差や側溝が見えにくい。バス停やタクシーの乗降場所も、雪が踏み固められ、滑りやすくなります。雪道を歩くポイントは、地面に垂直に足を踏み出し、重心をやや前へ。靴の裏全体を路面に付け、歩幅を狭くすることだそうです。
何より“自分は大丈夫”という油断が事故の温床になります。普段から危機意識を高めることが事故を防ぐ最善の方法でしょう。
2018年01月17日
さあ、新しい仕事を始めよう
82歳の生涯を閉じるまで活発に行動した文豪ゲーテの言葉です。「年をとるということ自体、新しい仕事をはじめることなのである。状況は一新し、行動することをすっかりやめてしまうか、あるいは、新しい役柄を意志と自覚をもって引き受けるか、どちらかである」(木原武一訳)
すごいですね!! さあ、新しい仕事を始めよう! 日々、生まれ変わった息吹で行動しよう!
すごいですね!! さあ、新しい仕事を始めよう! 日々、生まれ変わった息吹で行動しよう!
2018年01月16日
創業53年目
「フラガール」で有名な福島県いわき市のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」が15日、創業53年目を迎えました。東日本大震災では〝復興の象徴〟ともなった同施設。避難所への慰問から始まったフラガールの「全国キャラバン」の様子は映画にもなり、その姿に勇気をもらった人も多い事でしょう。
ハワイアンズは、開業自体が「復興」を使命にしていました。かつて炭鉱で栄えたいわき市の常磐地区。エネルギーの主役が石油に移り徐々に活気を失う。この危機を救ったのが、前身の「常磐ハワイアンセンター」でした。
炭鉱では迷惑な存在に過ぎなかった、地下から湧き出る温水を利用した施設です。炭鉱作業員らが従業員に、その娘たちがフラガールになり、失敗の予想を覆して、町の復興を引っ張っていったのです。
ハワイアンズは、開業自体が「復興」を使命にしていました。かつて炭鉱で栄えたいわき市の常磐地区。エネルギーの主役が石油に移り徐々に活気を失う。この危機を救ったのが、前身の「常磐ハワイアンセンター」でした。
炭鉱では迷惑な存在に過ぎなかった、地下から湧き出る温水を利用した施設です。炭鉱作業員らが従業員に、その娘たちがフラガールになり、失敗の予想を覆して、町の復興を引っ張っていったのです。
2018年01月15日
逆転の発想
わが社の製品の悪口を言ってくれたら100万円――大手アパレルメーカーが売り上げに伸び悩んでいた時、こうした広告を全国紙に出し、消費者から“クレーム”を募った事がありました。実に3万通近くの手紙が届いたが、そのおかげで製品の抜本的な見直しができ、品質が格段に向上したそうです(野地秩嘉著『一流たちの修業時代』光文社新書)
あるITシステム企業では、「残業時間を減らした分、手当を出す」というユニークな方針を社内に打ち出しました。その結果、社員の仕事の能率が上がり、残業時間は半減。業績も大幅に伸ばすことができたという
これは、通常の経営から見れば、「逆転の発想」といえるかもしれません。しかし共通するのは、消費者や従業員という「人間」を中心に据えた視点です。とことん「一人」の声に耳を傾ける。従業員の働きがいを真剣に模索する――そこから常識を覆す、斬新な発想が生まれたのです。
あるITシステム企業では、「残業時間を減らした分、手当を出す」というユニークな方針を社内に打ち出しました。その結果、社員の仕事の能率が上がり、残業時間は半減。業績も大幅に伸ばすことができたという
これは、通常の経営から見れば、「逆転の発想」といえるかもしれません。しかし共通するのは、消費者や従業員という「人間」を中心に据えた視点です。とことん「一人」の声に耳を傾ける。従業員の働きがいを真剣に模索する――そこから常識を覆す、斬新な発想が生まれたのです。
2018年01月14日
凱旋行進曲
「凱旋行進曲」は、巨匠ヴェルディ作曲の歌劇「アイーダ」の劇中歌です。これは若き将軍が激戦を勝ち抜き、共戦の同志と共に凱旋する。勝利をかみしめる勇者の誇り、その雄姿に喝采を送る民衆の歓喜です。
ヴェルディの時代、祖国イタリアは戦渦に翻弄され、圧政が人々を苦しめました。この時、自由を求める民衆運動に火を付けたのが、彼の歌劇。当局の検閲や悪意の中傷にも、「闇を恐れてはいけません」「絶え間なく真っ直ぐに前進することしかありません」と信念を貫いたのです(アルド・オーベルドルフェル編著、松本康子訳『ヴェルディ』カワイ出版)すごい!!
ヴェルディの時代、祖国イタリアは戦渦に翻弄され、圧政が人々を苦しめました。この時、自由を求める民衆運動に火を付けたのが、彼の歌劇。当局の検閲や悪意の中傷にも、「闇を恐れてはいけません」「絶え間なく真っ直ぐに前進することしかありません」と信念を貫いたのです(アルド・オーベルドルフェル編著、松本康子訳『ヴェルディ』カワイ出版)すごい!!
2018年01月13日
ブックロード
世界遺産に登録された富岡製糸場。同時期に登録された遺産に「シルクロード 長安・天山回廊の交易路網」があります。これは絹の道(シルクロード)が通っていた中国、カザフスタン、キルギスの3国が共同で申請したもので、かつてない規模の世界遺産となりました。
絹の道は長安からさらに東へ、奈良まで伸びていたとする見方もありますが、中日交流史を研究する王勇氏は、中国と日本をつないだ道を「ブックロード(本の道)」とする視点を提示しています。
中国を起源にして、絹は東へ西へ広まったが、漢文の書籍は、専ら東へ伝播しました。漢訳の「妙法蓮華経」も、そうして日本に伝わったのです。また、進んだ大陸文化を求めて、遣隋使や遣唐使が海を渡りました。貴重な漢文書籍を手に入れるため、皇帝からの高価な下賜品を現地で全て換金して充てたこともあったという(『奈良・平安期の日中文化交流』農山漁村文化協会)
絹の道は長安からさらに東へ、奈良まで伸びていたとする見方もありますが、中日交流史を研究する王勇氏は、中国と日本をつないだ道を「ブックロード(本の道)」とする視点を提示しています。
中国を起源にして、絹は東へ西へ広まったが、漢文の書籍は、専ら東へ伝播しました。漢訳の「妙法蓮華経」も、そうして日本に伝わったのです。また、進んだ大陸文化を求めて、遣隋使や遣唐使が海を渡りました。貴重な漢文書籍を手に入れるため、皇帝からの高価な下賜品を現地で全て換金して充てたこともあったという(『奈良・平安期の日中文化交流』農山漁村文化協会)
2018年01月12日
夢を実現
実に12回目の挑戦で教員採用試験を突破し、現在、小学校の教壇に立つ婦人がいます。若くして体調を崩した彼女は、長いリハビリ生活を強いられ、思う存分、勉強ができなかったそうです。回復後、夢だった教師になろうと、創価大学通信教育部で学びました。
大学は4年間で卒業したそうですが採用試験の壁は厚かった。途中、東日本大震災にも遭った。試練の渦中、彼女はいつも母校・創大の学生歌を口ずさんでは自身を奮い立たせた。そして、ついに合格を手にしたのです。
夢実現までの道のりも時間も、共に最短ではなかったでしょう。だが、こう語る彼女は、間違いなく人生の勝者だった。「学生歌の歌詞にある『誰がために 人間の道学ぶかな』の精神を深めた、かけがえのない年月でした」と。
大学は4年間で卒業したそうですが採用試験の壁は厚かった。途中、東日本大震災にも遭った。試練の渦中、彼女はいつも母校・創大の学生歌を口ずさんでは自身を奮い立たせた。そして、ついに合格を手にしたのです。
夢実現までの道のりも時間も、共に最短ではなかったでしょう。だが、こう語る彼女は、間違いなく人生の勝者だった。「学生歌の歌詞にある『誰がために 人間の道学ぶかな』の精神を深めた、かけがえのない年月でした」と。
2018年01月11日
共感をもって反応
子どもを天才に育てる「魔法の言葉」とは?――作家で俳優の中谷彰宏氏は語っています。
氏は幼少のころの思い出を交えて、それは「ナールヘソ」である、と。「なるほど」の意味で使うこの語、氏が面白いと思ったことを話した時、母親が必ず返してくれた言葉だそうです。これが、好奇心とコミュニケーション能力の二つを育ててくれた。逆に、子どもの心をくじく三つの言葉は「それは、違う」「面白くない」「そんなこと、知ってるよ」だと、氏は言っています。
確かに、子どもの〝大発見〟に対して素っ気ない対応では、喜びもやる気も半減します。この話には、子どもの教育だけでなく、大人の人間関係にも関わる教訓が含まれています。言葉一つで、相手をがっかりさせることもあれば、元気にすることもある。こちらが「成長してもらいたい」「立ち上がってもらいたい」という心のアンテナをピンと張っていれば、どんな相手の話にも、共感をもって反応できるのです。
氏は幼少のころの思い出を交えて、それは「ナールヘソ」である、と。「なるほど」の意味で使うこの語、氏が面白いと思ったことを話した時、母親が必ず返してくれた言葉だそうです。これが、好奇心とコミュニケーション能力の二つを育ててくれた。逆に、子どもの心をくじく三つの言葉は「それは、違う」「面白くない」「そんなこと、知ってるよ」だと、氏は言っています。
確かに、子どもの〝大発見〟に対して素っ気ない対応では、喜びもやる気も半減します。この話には、子どもの教育だけでなく、大人の人間関係にも関わる教訓が含まれています。言葉一つで、相手をがっかりさせることもあれば、元気にすることもある。こちらが「成長してもらいたい」「立ち上がってもらいたい」という心のアンテナをピンと張っていれば、どんな相手の話にも、共感をもって反応できるのです。
2018年01月10日
私たちの心臓
よく見かける大きなドラム缶の容量は200リットルです。このドラム缶40本分(8000リットル)の液体を1日で移し替えようとすれば、大変な労力が必要でしょう。実は、私たちの心臓は毎日、それだけの量の血液を体じゅうに送っているのです。
1回の拍動で送り出すのは、わずかな量です。しかし80ミリリットルずつとして、1分間で70回の拍動があれば5・6リットル。1時間では336リットルとなり、1日で8064リットルという計算になります。このまま続けると1年では3000トン、80年続けば24万トンという、最大級のタンカーほどの途方もない量になるのです。
1回の拍動で送り出すのは、わずかな量です。しかし80ミリリットルずつとして、1分間で70回の拍動があれば5・6リットル。1時間では336リットルとなり、1日で8064リットルという計算になります。このまま続けると1年では3000トン、80年続けば24万トンという、最大級のタンカーほどの途方もない量になるのです。
2018年01月09日
前向きに臨めば
貴方ならどうします? 職場の上司から仕事を頼まれました。得意なものなら問題はない。だが、ちょっと負担感のある仕事だったらどうするか?
“仕事ならやって当然”という声も聞こえそうですが、最近、上司の依頼を簡単に断る若者が増えているそうです。これを人材コンサルタントの田中和彦さんは「もったいない」と強調しています。曰く、「『断る』のは簡単ですが、その瞬間に自分の可能性を閉ざすことになる」からだ。万事、前向きに臨めば、新しい自分との出あいがあるはずです。
青年の特権は「挑戦」です。挑戦すれば失敗することも、もちろんある。だが再び立ち上がれば、失敗は、かけがえのない「宝」に変わる。失敗のない人生とは、成長のない人生かもしれません。
“仕事ならやって当然”という声も聞こえそうですが、最近、上司の依頼を簡単に断る若者が増えているそうです。これを人材コンサルタントの田中和彦さんは「もったいない」と強調しています。曰く、「『断る』のは簡単ですが、その瞬間に自分の可能性を閉ざすことになる」からだ。万事、前向きに臨めば、新しい自分との出あいがあるはずです。
青年の特権は「挑戦」です。挑戦すれば失敗することも、もちろんある。だが再び立ち上がれば、失敗は、かけがえのない「宝」に変わる。失敗のない人生とは、成長のない人生かもしれません。
2018年01月08日
師弟の日
「厳粛な『師弟の日』」――「1月8日」について、創価学会の池田先生がこう語ったことがあります。
1943年(昭和18年)7月6日、初代会長・牧口先生と第2代会長・戸田先生は、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕・投獄されました。翌年11月18日、牧口先生は獄死。「牧口は死んだよ」と戸田先生が取り調べの判事から告げられたのが、45年(同20年)1月8日でした。
その時の心中を、後に戸田先生は語っています。「先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります」と。牧口先生の命を奪ったものとは、生命を軽視する国家主義であり、権力の魔性でありました。ゆえに人間主義の仏法を語り、善の連帯を広げることで、師匠の「仇討ち」をすると誓ったのである。戸田先生は戦後、壊滅状態だった学会を再建し、75万世帯の弘教を達成。この精神闘争は、第3代会長の池田先生に受け継がれ、広宣流布の潮流は世界へと広がったのです。
1943年(昭和18年)7月6日、初代会長・牧口先生と第2代会長・戸田先生は、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕・投獄されました。翌年11月18日、牧口先生は獄死。「牧口は死んだよ」と戸田先生が取り調べの判事から告げられたのが、45年(同20年)1月8日でした。
その時の心中を、後に戸田先生は語っています。「先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります」と。牧口先生の命を奪ったものとは、生命を軽視する国家主義であり、権力の魔性でありました。ゆえに人間主義の仏法を語り、善の連帯を広げることで、師匠の「仇討ち」をすると誓ったのである。戸田先生は戦後、壊滅状態だった学会を再建し、75万世帯の弘教を達成。この精神闘争は、第3代会長の池田先生に受け継がれ、広宣流布の潮流は世界へと広がったのです。
2018年01月07日
毎日、日記をつけた
ドイツの作家トーマス・マンは、若い頃からほぼ毎日、日記をつけたそうです。1953年には、ミケランジェロやベートーベンについての新聞記事を読み、こう記しています。「偉大さと関わることをひじょうに好むのは、私にはプラスの材料と、私は思う」(森川俊夫ほか訳『トーマス・マン 日記 1953―1955』紀伊國屋書店)
トーマス・マンは当時、78歳。体は衰えつつありましたが、創作への情熱を燃やし続け、決してペンを離さなかったそうです。翌年には30年越しの作品『詐欺師フェーリクス・クルルの告白、回想録の第1部』を発表。これが彼の遺作となりました。
偉大な精神に触れれば、自らの心も刺激を受け、前進の意欲も生まれよます。目の前の壁が高く思える時にも、より大きな視点に立てば活路も見えてくるのです。
トーマス・マンは当時、78歳。体は衰えつつありましたが、創作への情熱を燃やし続け、決してペンを離さなかったそうです。翌年には30年越しの作品『詐欺師フェーリクス・クルルの告白、回想録の第1部』を発表。これが彼の遺作となりました。
偉大な精神に触れれば、自らの心も刺激を受け、前進の意欲も生まれよます。目の前の壁が高く思える時にも、より大きな視点に立てば活路も見えてくるのです。