2014年07月11日

労苦を惜しまない人

 世の指導層の偽善に辟易している若者たち。シニカル(冷笑的)にみえる風貌の奥では、狭いエゴを打ち破る生き方、それを教えてくれる指導者を求めているのです。
 「労苦を惜しむ人は、人から信頼されません。池田先生(創価学会・名誉会長)が世界から慕われるのは、労苦を惜しまない人だからです」と、タイ・メージョー大学のテープ学長。人類の未来のために、半世紀にわたり一身をなげうって戦ってきた指導者の真実を、真剣に生きる人ほど見逃さない。
  

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2014年07月10日

吉野杉

 山間地域の奈良・吉野郡には、万葉集にも詠まれた美しい景色が多く見られます。その風景を彩る一つに吉野杉があります。ここは日本三大人工美林の一つにも数えられています。
 江戸時代の儒学者・新井白石と国学者・本居宣長は、「杉」の語源に言及しています。白石は『東雅』で「杉はスグなる木也とみえたり。其木の直なるをいひし也」と、真っすぐに伸びることに由来すると考察。一方で、宣長は『古事記伝』で「須岐は進木なり(中略)ただに上へすすみ上る木」と。上へ進む「進木」と述べています。
 2人の論考はいずれも、「杉」の成長力への視点で共通しています。上へ上へと、真っすぐに進んで伸びていく――その姿は、何ものにもひるまず、理想に向かって生きよと、人間の生き方を教えているかに思えます。  

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2014年07月09日

「よろん」と「せろん」

 「世論」には「よろん」「せろん」の読み方があります。かつて「よろん」は「輿論」と書いていましたが、「輿」が当用漢字表で使用制限になった後、「世論」の字が代用されるようになったそうです。
 しかし、二つの熟語が表す意味は、大きく異なります。京都大学の佐藤卓己准教授によれば、「輿論」は公に対して責任を担う意見であり、「世論」とは世間の雰囲気である、と。また、戦後、「輿論」が姿を消すと、言論に対する責任が曖昧になってきた、とも。「世間の空気に対して、たった一人でも公的な意見を叫ぶ勇気こそが大切」と訴える(『輿論と世論――日本的民意の系譜学』)  

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2014年07月08日

人間の条件

 七転八起にかけたわけではなかろうが、向井千秋さんが日本人女性として初めて宇宙に飛び立ったのは、1994年の今日「7月8日」でした。心臓外科医から宇宙飛行士への転身。困難を何度も乗り越え、10年がかりで夢を実現させた。かって向井さんは、聖教新聞のてい談で、宇宙飛行の成功に至る道について「大勢の人たちの祈るような思いに守られ、支えられて」と感謝を語りました。
 試練を勝ち越えた偉業の陰には、本人の努力とともに、必ず、祈る思いで見守り、支える人がいるものです。そういう陰の人の真心を忘れないことが、人間の条件でもあります。自分という存在は、自分だけのものではない。それを知った人は強く、謙虚になり、成長の道を歩み続けることができる。  

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2014年07月07日

伴走

 最近、介護や看護、福祉をはじめ、さまざまな分野で、「伴走」という言葉が注目されています。「同じ歩幅」で進む。「困難の坂」に共に汗し、解決法を共に探る。それは、一人を支えることでもあり、また、支え合う社会の建設につながる一歩となるはずです。  

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2014年07月06日

創価学会という太陽

 71年前の今日、創価学会の牧口初代会長は、折伏に赴いた伊豆・下田の地で逮捕されました。さらに、戸田第2代会長も、この日、東京で逮捕されたのです。
 下田で生まれた、香川大学名誉教授で詩人の笹本正樹氏は、少年時代、坂道の途中にある一軒の家の前で、母親に教えられたという。「ここが、偉い人が逮捕された家だよ」。その“偉い人”が牧口初代会長だと知ったのは後年のことです。
 学会の前進を見守り続けてきた氏は語っています。「牧口先生の獄死により一度は沈んだとも言える“創価学会という太陽”は、同じころ、第2代会長の戸田先生によって、戦後の荒廃の闇を破り、輝き始めていた」。さらに「牧口先生、戸田先生の放たれた光を存分に受けて、今、池田先生の魂の光が世界を照らしているのです」と。  

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2014年07月05日

生物が、人間社会に教えてくれること

 思わぬものが、実は仲間同士のことがあります。赤く丸いトマトと、濃い紫で細長いナス。ともにナス科の植物なのです。ふかすとおいしいサツマイモと、初夏の鉢植えが美しいアサガオも、同じヒルガオ科。これらは、互いによく似た花を観察することで納得できます。
 逆に、由来は異なりますが、同じ環境や用途のために似た姿になったものもあります。魚の背びれとイルカの背びれ、コウモリの翼と鳥の翼。植物でも、ジャガイモの芋は茎が変化したものですが、サツマイモの芋は根が変化したものなのです。
 「外見は違うが、実は仲間」「由来は違っても、目的を同じくするうち仲間になる」――生物が、人間社会に教えてくれることは多いのです。  

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2014年07月04日

他人との比較より

 他人との比較より、昨日と今日の自分を、さらに明日の自分を比べよ――肝に銘じたい人生訓です。その上で、友情を重んじた作家の武者小路実篤は「人生論」で述べています。「自分より偉い奴がいる。自分より真剣な奴がいる」と、身近な友を思うことは「実にいい鼓舞をうける」(『現代人生論全集2』雪華社所収)
 同書ではまた、文学の巨人をわが身に引き寄せることを勧めています。「元気に何ものも恐れずに生きる」ためにはホイットマンを。落ち込んだ時には「もっと苦しい谷をさまよった」ドストエフスキーを。「良心のするどさ」に触れたいならトルストイを。「まちがいない道を悠然と歩く」にはゲーテを・・・・・・・。  

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2014年07月03日

若き日によくしてくれた庶民の残像

 留学で日本に来たこの青年は、貧しく心細い生活を強いられていました。思うようにいかない学業、大国に蹂躙されていく祖国の姿に悶々としていました。だが、下宿先の婦人は、料理を振る舞うなど、何かと世話を焼いてくれた。「おばちゃんと言葉を交わすと、ホッとした」。帰国後、その青年は婦人への感謝を何度も口にしたという。青年とは、中国の周恩来総理である(西園寺一晃著『「周恩来と池田大作」の一期一会』潮出版社)
 戦時賠償を放棄し、日本との国交正常化を決断した総理の采配は、世界の安定という大局の上に立ったもの。とはいえ、周総理の日本へのまなざしには、若き日によくしてくれた庶民の残像が重なっていたと思えるのは私だけでしょうか。  

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2014年07月02日

にぎり飯

 災害や戦争などで生活が破壊されると、まず、にぎり飯が炊かれます。なぜか。歌人の川野里子さんは、そこには「飢えを凌ぐ以上の意味がある」(「明日から吹いてくる風」日本現代詩歌文学館)と言う。
 人間の手のぬくもりのまじったにぎり飯は「それでも生活してゆくのだ、という方向から差し出される」ものだ、と。  

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2014年07月01日

朝が苦手

 「目さまして猶起き出でぬ児の癖は かなしき癖ぞ 母よ咎むな」。目覚めても床を離れない自分を、母よ責めないで――と、苦悩のふちにある石川啄木は歌いました。
 啄木ほどの苦悩はなくても、朝が苦手な人は多い事でしょう。睡魔を断って、がばっと勢いよく起きる。これができる人もいますが、無理な人は、まず手や足の指を動かしてみるといいそうです。それが合図となり、だんだんと脳が目覚めるという。寝転んだまま“伸び”をしたり、手足を動かしたりすれば、楽に起きられるそうです。お試しを。  

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