2017年03月29日
青函トンネル
一年前、北海道新幹線の一番列車が青函トンネルに入った際、車掌が粋なアナウンスを始めました。「(トンネルの)開通までには多くの苦労がありました。しかし、海面下という特殊な環境の中でも世界に誇る技術を生み出しつつ、困難に打ち勝ってきた……」云々と。
世界最長の海底鉄道トンネル。その工事は、異常出水事故など問題の連続でした。34人が殉職。工事の指揮者も「一〇〇のことをやったとすれば、成功したのは本当にせいぜい一〇ぐらい」と述懐しています。
だが、彼らは「失敗」の一つ一つに意義を見いだしました。「その一〇で、人間が育ったんじゃなくて、残りの九〇で若い技術者が育っていった」「試行錯誤のないものには進歩はあり得ない」(持田豊「青函トンネルを掘って」)。24年に及ぶ難工事は、若い世代へ技術をつなぐことなくして、できなかったのです。
世界最長の海底鉄道トンネル。その工事は、異常出水事故など問題の連続でした。34人が殉職。工事の指揮者も「一〇〇のことをやったとすれば、成功したのは本当にせいぜい一〇ぐらい」と述懐しています。
だが、彼らは「失敗」の一つ一つに意義を見いだしました。「その一〇で、人間が育ったんじゃなくて、残りの九〇で若い技術者が育っていった」「試行錯誤のないものには進歩はあり得ない」(持田豊「青函トンネルを掘って」)。24年に及ぶ難工事は、若い世代へ技術をつなぐことなくして、できなかったのです。