2017年03月27日

三義塚

 大阪・豊中市立中央公民館。ここには「三義塚」と刻まれた墓石があります。三義は、植物・生物学者の西村が付けたハトの名前です。
 1932年、第1次上海事変の直後、西村は医療団を率いて上海に渡りました。三義里という街で一羽のハトを見つけ、日本に持ち帰って育てた。〝子バトが生まれたら、平和の使者として中国へ送ろう〟と楽しみにしていたが、三義は落命してしまいました。
 その後、弔う塚が建てられ、西村は自筆の「三義」の絵と共に一首を詠んで、魯迅に送りました。「西東国こそ異へ小鳩等は親善あへり 一つ巣箱に」。感激した魯迅は、漢詩「三義塔に題す」を西村に返した。「荒波を渡れば兄弟がいる。会って笑えば恩讐は消える」と。  

Posted by mc1460 at 11:49Comments(1)TrackBack(0)つぶやき