2013年04月10日

メモを取ること

 仕事に取り組む真剣な姿勢。キビキビした行動。春風のように、新鮮な息吹を吹き込む新社会人の姿が清々しいですね。支える先輩も、アドバイスに力が入ります。たとえば「メモを取ること」です。アイデアや情報を書き留めたり、備忘のためなど、メモの取り方はビジネスに欠かせない基本の一つです。当たり前と侮ることなかれ。積み重ねれば大きな差となってくるのです。
 トーマス・エジソンは、小学校の退学や聴覚の不自由など、ハンディをものともせず、人々を驚かせる数々の発明を世に送っています。この世界に知られる発明王は、“メモの虫”でもあったそうです。少年時代から晩年まで克明に日記を綴り、仕事の考察から毎日の食事にいたるまで記録していました。
 「天才とは1%のひらめきと99%の努力の賜物」とは彼の有名な言葉ですが、その意味がやや誤解されているようです。真意は“最初のひらめきが良くなければ、どんな努力も無駄になる”。「ひらめき」こそ大事であり、それを得るための努力こそ肝要、と彼は言いたかった(『エジソンの言葉』浜田和幸著、大和書房)。「メモ」も、その努力の一つだったに違いありません。  

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2013年04月09日

ニュー=フロンティア

 J・F・ケネディが米大統領選出馬の際、一つの政策ビジョンを掲げました。有名な「ニュー=フロンティア(新たな開拓)」です。キューバ危機の打開、核実験の縮小、宇宙開発の推進、公民権法の制定――多くの実績を残したケネディ。しかし、これらは、大統領就任前は「まだ地図に記されていない」「まだ解答の出ていない」、まさに〝未開拓〟の難問ばかりだった(中屋健一訳『ケネディ・上』河出書房新社)
 誰もやったことがない。前例がない。「だから、やめておこう」ではなく、「それなら、自分が〝前例〟をつくってみせる」と奮起する。それが、青年指導者・ケネディの気概でした。彼は語る。「人間は自らが望むだけ偉大になれる。人間の運命の問題で人間の手がおよばないものはない」(同)と。納得!!  

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2013年04月08日

ファジー記憶

 勉強する。一晩たつと、少し忘れる。1週間、そして1カ月もすると、記憶の多くは薄れてしまう。が、嘆くなかれ。それが人間の素晴らしい特質なのだ――と、脳科学者の池谷裕二さんは指摘しています(『記憶力を強くする』講談社ブルーバックス)
 脳の記憶は「ファジー記憶」。この曖昧さは、生命にとってきわめて重要なのです。なぜなら、生活している環境は、日々刻々、変化しますから、臨機応変に対処することが欠かせません。それを可能にするのが、ファジー記憶であるそうです。
 他方、より原始的な動物ほど曖昧な記憶が少なく、厳密な記憶の割合が多いそうです。よって、失敗しても学習せず、結局は命を落としてしまいがちなのです。「ファジーな記憶こそが高度な思考や創造を生み出す源泉」であり、それが脳に「人間性」を与えている、と池谷さんは強調しています。  

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2013年04月07日

封建的思想の温床

 日本の昔話は第2次大戦直後、進駐軍から封建的思想の温床と見なされたそうです。
 その代表例が「桃太郎」でした。各地で語り継がれてきた桃太郎は、明治時代に児童文学者の巌谷小波らの手により現在の形に整えられました。犬と猿、雉と共に鬼退治に向かう、あのおおらかな勧善懲悪の物語です。
 しかし軍靴の響きが高鳴るにつれ、「日本一の桃太郎」は愛国心の象徴に仕立て上げられました。戦争中のアニメーション映画では、桃太郎が飛行機や潜水艦に乗り、まなじりを裂いて連合国と戦っています(『松居直自伝』ミネルヴァ書房)
 桃太郎だけではありません。桜も軍国主義に利用された犠牲者です。散り際の潔さから“軍国の花”と称されました。巡り来る万朶の春。春風に舞う桜花に、戦火に散った人を偲ぶ悲しみが消えることはありません。  

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2013年04月06日

共通点

 ハワイのアロハシャツを参考に作られた、沖縄の「かりゆしウエア」。2000年の沖縄サミットでは、各国首脳が着用し、以降、広く着られるようになりました。
 ともに観光が主産業の沖縄とハワイには、いくつかの共通点があります。その一つが「アロハの精神」だ。「アロハ」は、ハワイ語で「好意・愛情・思いやり・挨拶」などを表し、互いに尊重し、共存しようとする心です。沖縄に伝わる「ユイマール」(相互扶助の精神)に通じます。
 沖縄は今、うりずん(初夏)の季節です。空と海も一段と青く輝いています。同様に、全ての困難をバネに変えていく「精神の力」を発揮し、人も輝いていきたいものですね。  

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2013年04月05日

勝負のこころ

 棋聖・大山康晴15世名人は少年時代、内弟子として仕えた師匠から一局も教わらなかったそうです。その代わり、掃除、買い物、駒磨き、代稽古など“盤外”の修業に日々、明け暮れました。
 しかし、こうした修業を必死にやり抜くことで、「将棋とは単なる技術だけではなく、体の奥底に蓄えられる心、皮膚からにじみ出る精神といったものに支配される道だ、ということがはっきり感じとれるようになってきた」(大山康晴『勝負のこころ』)と、述懐しています。
   

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2013年04月04日

季節の変わり目

 本格的な春の訪れです。季節の変わり目は体調を崩すことが多い。この冬の寒さで健康を損ねた人や持病のある人が不調を訴える時でもあります。
 57歳の大厄のせいか、正月から4月の今にかけて心身共に苦しんでいますと、日蓮大聖人に手紙を書いた門下がいます。その時、自身も57歳の大聖人は返信の中で、人生に苦はつきもので、誰も避けては通れないと述べられています。
 そして、世間の道理に従って賢明に生活し苦難を乗り切ることを示され、法華経の信心こそが最高の良薬であると教えられています。さらに「大厄のことは日蓮に任せなさい」「諸仏が法華経の行者を守護するという約束が真実かどうかが分かる」(御書1017ページ、趣意)とも。  

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2013年04月03日

ゲーテの母

 大詩人ゲーテの母は、たくさんの創作物語を息子に語って聞かせていたそうです。ゲーテの興味を引いたのは、楽しそうに話す母の姿でした。彼は母を「いつも明朗で、快活で、他人もそうあることを望んでいた」(小牧健夫訳)と讃える。まさに、家庭や地域の太陽と輝く幾百万の“広布の母”の姿が思い起こされる逸話です。  

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2013年04月02日

桧原桜

 29年前の話。「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を ゆるし給え」。この歌は3月のある朝、桜の木々に句が懸けられていました。わずか9本の並木ですが、町の人々を潤してきた命です。それが全て、開花を目前に、道路拡幅のため切られようとしていたのです。
 “最後の花が咲くまで、せめてあと20日の命を”との願いが託された、詠み人知らずの歌。そこから歌のリレーが始まった。桜に吊された市民の歌が、日ごとに増えていく。その中の一首に「桜花惜しむ大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は」と。市長からの“返歌”だった(『花かげの物語』土居善胤著、出窓社)。この福岡市南区の「桧原桜」は命を長らえ、公園となり、29年後の今年も満開の桜が市民を迎えています。
 「さまざまの事 おもひだす桜かな」(芭蕉)。人の思いを映して桜は咲くのであろうか。人は桜に、人生の春秋を重ねる。そこから物語が生まれます。

桧原桜 http://www.geocities.jp/hako_mjp/hibarusakura/hibarusakura.html  

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2013年04月01日

「日々新面目あるべし」

 新潟県出身の歌人で、書家の会津八一は私塾を開き、若者を鍛え育てました。同塾の学規に「日々新面目あるべし」と定められています。これは日々、新しい自分を創造していく大切さを訴えています。
 会津八一は新潟大火で実家を焼かれ、東京では空襲から着の身着のままで逃れた体験があります。さらに、養女に先立たれ、自身も病に苦しみました。「日々新面目あるべし」は、そんな数々の試練に屈しなかった哲人の言葉です。  

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