2013年04月02日
桧原桜
29年前の話。「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を ゆるし給え」。この歌は3月のある朝、桜の木々に句が懸けられていました。わずか9本の並木ですが、町の人々を潤してきた命です。それが全て、開花を目前に、道路拡幅のため切られようとしていたのです。
“最後の花が咲くまで、せめてあと20日の命を”との願いが託された、詠み人知らずの歌。そこから歌のリレーが始まった。桜に吊された市民の歌が、日ごとに増えていく。その中の一首に「桜花惜しむ大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は」と。市長からの“返歌”だった(『花かげの物語』土居善胤著、出窓社)。この福岡市南区の「桧原桜」は命を長らえ、公園となり、29年後の今年も満開の桜が市民を迎えています。
「さまざまの事 おもひだす桜かな」(芭蕉)。人の思いを映して桜は咲くのであろうか。人は桜に、人生の春秋を重ねる。そこから物語が生まれます。
桧原桜 http://www.geocities.jp/hako_mjp/hibarusakura/hibarusakura.html
“最後の花が咲くまで、せめてあと20日の命を”との願いが託された、詠み人知らずの歌。そこから歌のリレーが始まった。桜に吊された市民の歌が、日ごとに増えていく。その中の一首に「桜花惜しむ大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は」と。市長からの“返歌”だった(『花かげの物語』土居善胤著、出窓社)。この福岡市南区の「桧原桜」は命を長らえ、公園となり、29年後の今年も満開の桜が市民を迎えています。
「さまざまの事 おもひだす桜かな」(芭蕉)。人の思いを映して桜は咲くのであろうか。人は桜に、人生の春秋を重ねる。そこから物語が生まれます。
桧原桜 http://www.geocities.jp/hako_mjp/hibarusakura/hibarusakura.html
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