2015年12月08日
歴史が動く瞬間
時間をきっちり守る男が、彫刻家のアトリエに招かれました。約束の時刻に着いたのに、彫刻家は外出からまだ帰らない。ふと、そばにあった本を手に取る。読みだすと、たちまち引き込まれた――作家ツヴァイクが、ロマン・ロランの小説『ジャン・クリストフ』と出あった瞬間です。
この偶然の巡り合いを経て、後にロランはツヴァイクにとって人生最良の友となりました。芸術家には、ひらめきをつかみ、美を創造する瞬間があります。同じように、歴史にも決定的な時がある。それをツヴァイクは「人類の星の時間」と呼んだ。星の瞬きのように鋭い光を放つ、歴史が動く瞬間です。
この偶然の巡り合いを経て、後にロランはツヴァイクにとって人生最良の友となりました。芸術家には、ひらめきをつかみ、美を創造する瞬間があります。同じように、歴史にも決定的な時がある。それをツヴァイクは「人類の星の時間」と呼んだ。星の瞬きのように鋭い光を放つ、歴史が動く瞬間です。
2015年12月07日
ありがとう
心がホッとする話題です。テレビを見て、少年がつぶやきました。「僕も、こんな主人公みたいに偉くなりたいなあ」。それを聞いた祖母が言ったそうです。「人として本当に偉いのは、みんなに、『ありがとう』と感謝できる人だよ」と。
そこで少年は、一人で「ありがとう運動」を始めたそうです。自分が起きる前から朝ご飯を用意してくれるお母さん。体操着を真っ白に洗ってくれるおばあちゃん。夜遅くまで働くお父さん……皆にお礼を言うと、家族全員が笑顔になりました。少年は、その日の日記に書いたそうです。「僕の毎日は『ありがとう』でできている」と。
そこで少年は、一人で「ありがとう運動」を始めたそうです。自分が起きる前から朝ご飯を用意してくれるお母さん。体操着を真っ白に洗ってくれるおばあちゃん。夜遅くまで働くお父さん……皆にお礼を言うと、家族全員が笑顔になりました。少年は、その日の日記に書いたそうです。「僕の毎日は『ありがとう』でできている」と。
2015年12月07日
ありがとう
心がホッとする話題です。テレビを見て、少年がつぶやきました。「僕も、こんな主人公みたいに偉くなりたいなあ」。それを聞いた祖母が言ったそうです。「人として本当に偉いのは、みんなに、『ありがとう』と感謝できる人だよ」と。
そこで少年は、一人で「ありがとう運動」を始めたそうです。自分が起きる前から朝ご飯を用意してくれるお母さん。体操着を真っ白に洗ってくれるおばあちゃん。夜遅くまで働くお父さん……皆にお礼を言うと、家族全員が笑顔になりました。少年は、その日の日記に書いたそうです。「僕の毎日は『ありがとう』でできている」と。
そこで少年は、一人で「ありがとう運動」を始めたそうです。自分が起きる前から朝ご飯を用意してくれるお母さん。体操着を真っ白に洗ってくれるおばあちゃん。夜遅くまで働くお父さん……皆にお礼を言うと、家族全員が笑顔になりました。少年は、その日の日記に書いたそうです。「僕の毎日は『ありがとう』でできている」と。
2015年12月06日
百万一心
戦国時代、中国地方を統一した毛利元就。伝承によると、同町に築かれた郡山城の拡張工事の際、石垣が崩れた。当時、強固な城を造るために人柱を立てる風習がありましたが、元就は人間を埋めることを禁じました。そして人柱の代わりに、「百万一心」の言葉を刻んだ石を埋めさせたそうです。〝人柱よりも、「百万の人々が心を一つにする」ことのほうが大事である〟と。
「百」と「万」の字は、あえて崩し、「一日 一力 一心」と読めるように刻まれています。一人一人が日々、力を合わせ、心一つにして臨めば、不可能なことはない、との叫びです。
「百」と「万」の字は、あえて崩し、「一日 一力 一心」と読めるように刻まれています。一人一人が日々、力を合わせ、心一つにして臨めば、不可能なことはない、との叫びです。
2015年12月05日
練習の鬼
プロ野球界で「ON」と称される王貞治氏と長嶋茂雄氏は現役時代、練習の鬼でした。王選手は文字通り「真剣」を握り、素振りに徹しました。天才とうたわれた長嶋選手も、周囲が“何もそこまで”と思うくらい、練習には一切、手を抜かなかったそうです。
チームの9連覇を支えた両氏の貢献は、成績以上に、そうした姿そのものでしょう。逸材がそろっただけでは勝利はつかめません。偉業に必要とされるのは、誰よりも汗をかく、真剣、かつ率先のリーダーの存在です。
チームの9連覇を支えた両氏の貢献は、成績以上に、そうした姿そのものでしょう。逸材がそろっただけでは勝利はつかめません。偉業に必要とされるのは、誰よりも汗をかく、真剣、かつ率先のリーダーの存在です。
2015年12月04日
はやぶさ2
昨年、生命の起源の手掛かりとなる有機物や水を求めて―。小惑星探査機「はやぶさ2」が宇宙へ飛び立ちました「1999 JU3」と呼ばれる小惑星に到着し、石や砂を採取して地球に持ち帰るという、6年間、約52億キロの旅の始まりです。
2003年に打ち上げられた「初代はやぶさ」の教訓を踏まえて、さまざまな改良が加えられた。しかし、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の川口淳一郎教授が「技術的な完成度は初代より高いが、見えない問題の対策を取ることはできない」(産経新聞)と語る通り、未知の困難が待ち受けることでしょう。
初代はやぶさも、約2カ月間も通信が途絶えたり、姿勢制御不能に陥ったりするなど、相次いで深刻なトラブルに見舞われました。”人工惑星”として活用され続ける予定だった本体も大気圏に突入して燃え尽きるなど、全てがうまくいったわけではなかったのです。
満身創痍の中、「月以外の天体に着陸した探査機が地球に戻る」という世界初の快挙を成し遂げた事実に、多くの人が自分の人生を重ね、勇気をもらったのです。
2003年に打ち上げられた「初代はやぶさ」の教訓を踏まえて、さまざまな改良が加えられた。しかし、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の川口淳一郎教授が「技術的な完成度は初代より高いが、見えない問題の対策を取ることはできない」(産経新聞)と語る通り、未知の困難が待ち受けることでしょう。
初代はやぶさも、約2カ月間も通信が途絶えたり、姿勢制御不能に陥ったりするなど、相次いで深刻なトラブルに見舞われました。”人工惑星”として活用され続ける予定だった本体も大気圏に突入して燃え尽きるなど、全てがうまくいったわけではなかったのです。
満身創痍の中、「月以外の天体に着陸した探査機が地球に戻る」という世界初の快挙を成し遂げた事実に、多くの人が自分の人生を重ね、勇気をもらったのです。
2015年12月03日
無重力実験塔
北海道中央部を走る芦別国道沿いの赤平市に、世界で三つしかない「無重力実験塔」があります。これはマグネット製造を手掛ける会社が、本業の傍ら建設した宇宙開発施設です。
開発を始めて今年で11年。同社のロケットは高度8300㍍まで到達し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の実験にも使われるようになりました。人工衛星の打ち上げも成功させ、実験施設には、NASA(米航空宇宙局)など、世界中の研究者が見学に訪れています。
同社の全従業員は17人。国からの補助もありません。そんな小さな町工場が「『できる』と思ったらできます。『できない』と思ったらできません」(植松努著『NASAより宇宙に近い町工場』ディスカヴァー・トゥエンティワン)と、挑戦を続けています。
開発を始めて今年で11年。同社のロケットは高度8300㍍まで到達し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の実験にも使われるようになりました。人工衛星の打ち上げも成功させ、実験施設には、NASA(米航空宇宙局)など、世界中の研究者が見学に訪れています。
同社の全従業員は17人。国からの補助もありません。そんな小さな町工場が「『できる』と思ったらできます。『できない』と思ったらできません」(植松努著『NASAより宇宙に近い町工場』ディスカヴァー・トゥエンティワン)と、挑戦を続けています。
2015年12月02日
みんなの家
岩手の釜石に「みんなの家」があります。これは世界的建築家の伊東豊雄さんたちがつくった施設です。
伊東さんは被災地で、非人間的な毎日を少しでも人間的に生きようとする人たちを見ました。テーブルを提供し語り合いの場をつくる人、楽器ができるからと、ミニコンサートを開く人。自分なりの何かを提供し、みんなで共有する無数の試み――伊東さんは、そこに未来を見たと語っています。
「みんなの家」は、そういう試みを支援する場になればと、仙台、釜石、陸前高田などにつくられています。
伊東さんは被災地で、非人間的な毎日を少しでも人間的に生きようとする人たちを見ました。テーブルを提供し語り合いの場をつくる人、楽器ができるからと、ミニコンサートを開く人。自分なりの何かを提供し、みんなで共有する無数の試み――伊東さんは、そこに未来を見たと語っています。
「みんなの家」は、そういう試みを支援する場になればと、仙台、釜石、陸前高田などにつくられています。
2015年12月01日
ありがとう
織戸郁子さんが自らの半生を綴った本『私を支えた「ありがとう」の言葉』(小学館集英社プロダクション)は、人はかくも強くなれるのか、と教えてくれる。彼女は、福祉相談員を20年以上務め、多くの人に生きる力を送っています。
「『ありがとう』と素直に言える心は健康です。だから『ありがとう』を言うたびに、あなたの心は光ってくるのです。
「『ありがとう』と素直に言える心は健康です。だから『ありがとう』を言うたびに、あなたの心は光ってくるのです。
2015年11月30日
ゆっくりと考える時間を共に
詩人の長田弘氏が、ジャンルや世代の壁を超えた11人との対話をまとめた『問う力(みすず書房)』を知って見えますか。長田氏は経験を通して実感したのは、対話を豊かにするのは、「話す」よりもむしろ「聴く」ことだったと語っています。
自分の主張を相手に理解させ、同意してもらおうとするだけでは、「対話」にならない。長田氏は「対話」を、互いの言葉を手がかりとして、ゆっくりと考える時間を共にし、分け合う方法――と考察しています。(『なつかしい時間』岩波新書)
自分の主張を相手に理解させ、同意してもらおうとするだけでは、「対話」にならない。長田氏は「対話」を、互いの言葉を手がかりとして、ゆっくりと考える時間を共にし、分け合う方法――と考察しています。(『なつかしい時間』岩波新書)
2015年11月29日
内村鑑三の言葉
内村鑑三の言葉。「経済の背後に政治あり、政治の背後に社会あり、社会の背後に道徳あり、道徳の背後に宗教あり。宗教は始めにして経済は終りなり」(『内村鑑三所感集』岩波文庫)
内村は昭和5年、創価学会の創立の年に世を去りましたが、その後の日本の歩みは、社会の興廃の底流に思想・宗教があるとする彼の言に、符合するかに思えます。国家神道に国民を糾合した戦前の日本は、ついに破滅しました。戦後の高度成長の歩みの中、それを支える庶民に希望を与えたのは、創価学会の運動であり、「人間革命」の思想でした。
内村は昭和5年、創価学会の創立の年に世を去りましたが、その後の日本の歩みは、社会の興廃の底流に思想・宗教があるとする彼の言に、符合するかに思えます。国家神道に国民を糾合した戦前の日本は、ついに破滅しました。戦後の高度成長の歩みの中、それを支える庶民に希望を与えたのは、創価学会の運動であり、「人間革命」の思想でした。
2015年11月28日
襷(たすき)
「襷(たすき)」という字は、中国生まれの漢字ではなく、日本で考案された「国字」だそうですで。
襷は元来、神事に使われていたようですが、やがて、労働の際に着物のたもとが邪魔にならないようにする実用品となりました。
これも日本発祥の競技「駅伝」では、次の走者へつなぐ「タスキ」として使われます。駅伝は抜きんでた少数の活躍だけでは決して勝てません。皆が、この一歩、次の一歩と、悔いなく自分の力を出し尽くしてこそ栄冠は輝くのです。団結は、一人一人が全力を出し、使命を果たし抜く時に、その真価が発揮されます。
襷は元来、神事に使われていたようですが、やがて、労働の際に着物のたもとが邪魔にならないようにする実用品となりました。
これも日本発祥の競技「駅伝」では、次の走者へつなぐ「タスキ」として使われます。駅伝は抜きんでた少数の活躍だけでは決して勝てません。皆が、この一歩、次の一歩と、悔いなく自分の力を出し尽くしてこそ栄冠は輝くのです。団結は、一人一人が全力を出し、使命を果たし抜く時に、その真価が発揮されます。
2015年11月27日
「書く」ことは「掻く」こと
書店をのぞくと、平積みされた明年の手帳や日記帳が並んでいます。今年も、あとひと月ばかりですね。この1年の来し方について、手帳や日記帳をめくり、決意や反省に立ち返る人も多いのではないでしょうか。
「書く」ことは「掻く」ことと同源だそうです。彫刻と同じように紙に引っ掻くという意味です。「書く」行為は人格的な格闘であり、自分の歴史を刻みつけることに通じます。
「書く」ことは「掻く」ことと同源だそうです。彫刻と同じように紙に引っ掻くという意味です。「書く」行為は人格的な格闘であり、自分の歴史を刻みつけることに通じます。
2015年11月26日
幸福を開いていける
ミステリー作家の夏樹静子さんは、格好のトリックやネタを探す苦労は尽きなくても、書くこと自体に喜びがあると言っています。「今日も自分は小説が書けるんだ、今日も自分は原稿用紙に文字を書けるんだと思うと、嬉しいな、ありがたいなと思います」(『作家の決断』文春新書)
「書く」を「生きる」に置き換えてみましょう。生きるのに苦労は尽きなくても、生きること自体に感謝を見いだす人は、幸福を開いていけるのです。
「書く」を「生きる」に置き換えてみましょう。生きるのに苦労は尽きなくても、生きること自体に感謝を見いだす人は、幸福を開いていけるのです。
2015年11月25日
一つの提案
地域の問題を協議する会議でのこと。議論が進まず、中心者が一つの提案をしました。
往々にして、主張を言いっぱなしにしてしまうのが現状。そこで「会議を“話し合いの場”ではなく“聴き合いの場”にしてはどうでしょう」と。“聴く”ほうに軸足を置いて話し合うと、会議は実りあるものになったそうです。
往々にして、主張を言いっぱなしにしてしまうのが現状。そこで「会議を“話し合いの場”ではなく“聴き合いの場”にしてはどうでしょう」と。“聴く”ほうに軸足を置いて話し合うと、会議は実りあるものになったそうです。
2015年11月24日
松下幸之助氏の言葉
松下幸之助氏の言葉。
「若い時の苦労は、買ってでもせな、あきまへんなぁ」。氏はかつて、自身が「成功した理由」を三つ挙げました。「学歴がなかった」「貧しかった」「病弱だった」。普通はどれも「成功しなかった理由」に挙げそうなことです。
氏は、創価学会の池田名誉会長との対談で、苦闘の中にも、常に喜びや希望があった、と語ったそうです。逆境を〝成長の因〟にするのも、「後退の因」にするのも、全て心の強さ次第という事なのでしょう。
「若い時の苦労は、買ってでもせな、あきまへんなぁ」。氏はかつて、自身が「成功した理由」を三つ挙げました。「学歴がなかった」「貧しかった」「病弱だった」。普通はどれも「成功しなかった理由」に挙げそうなことです。
氏は、創価学会の池田名誉会長との対談で、苦闘の中にも、常に喜びや希望があった、と語ったそうです。逆境を〝成長の因〟にするのも、「後退の因」にするのも、全て心の強さ次第という事なのでしょう。
2015年11月23日
善き友を持つ
フランスの作家サン=テグジュペリは、数々の困難に共に立ち向かい、生涯の信頼を結んだ同僚との思い出を通し、つづっています。
「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」(『人間の土地』堀口大學訳)。人と人を結ぶ多くの絆の中で、〝信じ合える喜び〟に勝るものはありません。
釈尊は、〝善き友を持つことが、仏道修行の半分に相当するのですね〟と問う弟子・阿難に答えました。〝それは違う。善き友を持つことが、仏道修行の全てなのだ〟(「サンユッタ・ニカーヤ」)と。
「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」(『人間の土地』堀口大學訳)。人と人を結ぶ多くの絆の中で、〝信じ合える喜び〟に勝るものはありません。
釈尊は、〝善き友を持つことが、仏道修行の半分に相当するのですね〟と問う弟子・阿難に答えました。〝それは違う。善き友を持つことが、仏道修行の全てなのだ〟(「サンユッタ・ニカーヤ」)と。
2015年11月22日
ゆるやかなつながり
ソーシャルメディアの発達などもあり、誰でもどこでも「つながる」ことができる時代です。しかしその分、自分の内面が外にさらされ、時に傷ついたりもします。だがそれを嫌がって、「いつもの仲間」とだけ接していると、居心地はいいかもしれないが、互いの人柄や関心を知り尽くしているだけに、会話は予定調和の内容に終始し、知性と感性の触発は乏しくなってしまいます。
少しの勇気を出して、新しい出会いに踏み出したり、切れかかっていたつながりを、結び直してみてはどうでしょうか。“本当の友人をつくる”といっても、それは、50人、100人という“ゆるやかなつながり”を見直すところから始まります。
少しの勇気を出して、新しい出会いに踏み出したり、切れかかっていたつながりを、結び直してみてはどうでしょうか。“本当の友人をつくる”といっても、それは、50人、100人という“ゆるやかなつながり”を見直すところから始まります。
2015年11月21日
一文字
戦中、軍部政府に抗して獄にあった創価学会の牧口初代会長は、家族に何度もはがきを送りました。1943年(昭和18年)11月26日付では、皆が元気か、日常のことを知らせてほしい――と。「(孫の)洋子が今何をして遊んで居るか、それを中心にして、家庭の様子がわかるのです」――と。
獄中の過酷な環境、官憲の厳しい取り調べの日々にあって、初代会長の心を癒やしたのは、家族が手紙に記した、温かい日常風景でした。妻子も、一家の無事と、孫の成長を願う、初代会長の変わらぬ慈愛に触れ、心を強くしたに違いありません。
言葉は、心そのものです。文によって、人は心を通わせ、心の翼を自在に広げることができます。一文字でもおろそかにしまい、と心に期したいものです。
獄中の過酷な環境、官憲の厳しい取り調べの日々にあって、初代会長の心を癒やしたのは、家族が手紙に記した、温かい日常風景でした。妻子も、一家の無事と、孫の成長を願う、初代会長の変わらぬ慈愛に触れ、心を強くしたに違いありません。
言葉は、心そのものです。文によって、人は心を通わせ、心の翼を自在に広げることができます。一文字でもおろそかにしまい、と心に期したいものです。
2015年11月20日
鳴かず飛ばず
故・森光子さんが初主演の舞台を踏んだのは41歳の時でした。大女優としては、あまりに遅咲きです。しかし、鳴かず飛ばずの悔しい青年時代に負けなかったことが、人生の大輪を咲かせた原動力になったと思うと、「艱難汝を玉にす」と、あらためて教えられます。
「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」。森さんが下積み時代に詠んだ句という。不屈、自身の可能性を信じる強さこそ、森さんの人生を支えていました。
「鳴かず飛ばず」は元来、“飛躍の時をじっと待つ”という意味です。中国の故事に由来しています。3年間飛ばず鳴かずにいる鳥は、ひとたび飛ぶと天まで上がり、ひとたび鳴けば人を驚かすという。その“時”が来ることを信じ、人に倍するような努力を持続できるか。途中でやめてしまうか。勝負は紙一重です。
「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」。森さんが下積み時代に詠んだ句という。不屈、自身の可能性を信じる強さこそ、森さんの人生を支えていました。
「鳴かず飛ばず」は元来、“飛躍の時をじっと待つ”という意味です。中国の故事に由来しています。3年間飛ばず鳴かずにいる鳥は、ひとたび飛ぶと天まで上がり、ひとたび鳴けば人を驚かすという。その“時”が来ることを信じ、人に倍するような努力を持続できるか。途中でやめてしまうか。勝負は紙一重です。