2017年01月12日
14サミッター
地球上には標高8千㍍を超える山が14座あります。〝14サミッター〟とは、その全てに登頂した登山家の称号です。日本人では、竹内洋岳さんが初めての登山家です。
竹内さんは、プロ登山家となる際、高所登山の魅力を伝える役目を自らに課しました。心掛けたのは、失敗や困難もオープンにすること。都合の良い場面だけを見せても伝わるはずがない、と。14座目の登頂挑戦の取材を申し込んだテレビ局には、こう条件を出した。〝登れなかった時も、たとえ山で亡くなっても、必ず放送すること〟と(『登山の哲学』NHK出版)
竹内さんは、プロ登山家となる際、高所登山の魅力を伝える役目を自らに課しました。心掛けたのは、失敗や困難もオープンにすること。都合の良い場面だけを見せても伝わるはずがない、と。14座目の登頂挑戦の取材を申し込んだテレビ局には、こう条件を出した。〝登れなかった時も、たとえ山で亡くなっても、必ず放送すること〟と(『登山の哲学』NHK出版)
2017年01月11日
縦書きなら自然とうなずくようになる
作詞家の阿久悠さんの文章は、自筆で、縦書きが多かったそうです。縦書きにこだわったのには訳があります。届けた相手が文面を読む。その時、横書きでは否定するかのように首を左右に振ってしまうが、縦書きなら自然とうなずくようになる。それが、理由だったらしい。
星の数ほどヒット曲を世に送った指先には、天賦の才能だけでなく、人と人との”心の共鳴”を何よりも大切にする思いが宿っていました。だからこそ、多彩かつ複雑な人間模様を、あれほどに味わい深く、聴き手の心に届けることができたのでしょう。
星の数ほどヒット曲を世に送った指先には、天賦の才能だけでなく、人と人との”心の共鳴”を何よりも大切にする思いが宿っていました。だからこそ、多彩かつ複雑な人間模様を、あれほどに味わい深く、聴き手の心に届けることができたのでしょう。
2017年01月10日
大人になったと
作家の吉本ばななさんが、初めて大人になったと思えたのは中学生の時だった、と書いています(『おとなになるってどんなこと?』筑摩書房)
その上で、〝ただ、子ども時代に体験したことの価値などが、本当に意味をなすのは大人になってから〟とも。「大人」には人それぞれの解釈があっていい。だが、過去の経験を、自身の成長に生かす人を「大人」と呼んでもいいでしょう。
その上で、〝ただ、子ども時代に体験したことの価値などが、本当に意味をなすのは大人になってから〟とも。「大人」には人それぞれの解釈があっていい。だが、過去の経験を、自身の成長に生かす人を「大人」と呼んでもいいでしょう。
2017年01月09日
描く人を選ぶ
昨年から、国民の祝日に「山の日」(8月11日)が加わりました。
日本の山の代表といえば富士山ですね。年初のこの時期、箱根駅伝の中継をはじめ、何かと目にすします。富士の姿を描いた絵は多いが、名画は少ない――そう語ったのは横山大観でした。「それは形ばかりうつすから」「富士を描くということは、つまり己れを描くことである。己れが貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい」(『横山大観展』大塚巧藝社)。富士ほどの名山ともなれば、描く人を選ぶということなのでしょう。
日本の山の代表といえば富士山ですね。年初のこの時期、箱根駅伝の中継をはじめ、何かと目にすします。富士の姿を描いた絵は多いが、名画は少ない――そう語ったのは横山大観でした。「それは形ばかりうつすから」「富士を描くということは、つまり己れを描くことである。己れが貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい」(『横山大観展』大塚巧藝社)。富士ほどの名山ともなれば、描く人を選ぶということなのでしょう。
2017年01月08日
事の始めの種
よく「新聞記事は“ねた”が勝負」などといわれます。辞書には「ねた」とは“たね(種)を逆さ読みした隠語”との記述も(「広辞苑」)。また「言葉」「文節」など、植物に関連した文字が入る文章用語も少なくありません。
吉行淳之介さんの言い回しが振るっています。「地面の下に根があって、茎が出て、それから花が咲くようなもので、その花を文章にたとえれば、根と茎の問題が片付かなくては、花は存在できないわけである」(『私の文章修業』朝日選書)
人はとかく“花”に目が行きがちです。葉の裏や、茎の根元を注視することは多くありません。ましてや、目に見えない地中の根っこや、事の始めの種に想像が及ぶことは、まれであります。
吉行淳之介さんの言い回しが振るっています。「地面の下に根があって、茎が出て、それから花が咲くようなもので、その花を文章にたとえれば、根と茎の問題が片付かなくては、花は存在できないわけである」(『私の文章修業』朝日選書)
人はとかく“花”に目が行きがちです。葉の裏や、茎の根元を注視することは多くありません。ましてや、目に見えない地中の根っこや、事の始めの種に想像が及ぶことは、まれであります。
2017年01月07日
七草粥
家族・親族の集まり、旧友との再会の席などが続き、そろそろ、あっさりした食が恋しくなるころですね。年齢を重ねるにつれ、1月7日の朝に食べる「七草粥」の慣習にも、なるほど意味があると思えてくるようになりました。
お粥は見た目が簡素で、ごちそうとはいえないかもしれない。しかし、食べる人の体調を考える心配りと、ひと手間が効いた味わい深い料理です。中国では、約6000年前から食されているそうです。(あまつかじゅんこ著『あったかおかゆ』日東書院)
お粥は見た目が簡素で、ごちそうとはいえないかもしれない。しかし、食べる人の体調を考える心配りと、ひと手間が効いた味わい深い料理です。中国では、約6000年前から食されているそうです。(あまつかじゅんこ著『あったかおかゆ』日東書院)
2017年01月06日
今年も良いことがますます重なってほしい
万葉集に大伴家持が詠んだ歌があります。「新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」。
〝新春のきょうの雪が降り積むように、今年も良いことがますます重なってほしい〟との願いは、古今、変わりはありません。
〝新春のきょうの雪が降り積むように、今年も良いことがますます重なってほしい〟との願いは、古今、変わりはありません。
2017年01月05日
チャレンジ精神
沖縄・南風原町で2日に開催された「新春飛び安里凧上げ大会」。大会名の「飛び安里」とは、200年以上前の琉球で、〝空を飛んだ男〟といわれる安里周当のことだそうです。
彼は、若いころに抱いた〝大空を飛びたい〟との夢を、失敗を繰り返しながらも、ついに成功させた、と伝えられています。同町では、その偉業をたたえ、弓の弾力を活用した、彼の飛行機のレプリカを製作し、展示しています。
「飛び安里」が実際に飛行に成功したという文献は少なく、伝承によるものが多いそうですが、今後、研究が進み、検証されれば、ライト兄弟より100年以上も早く、空を飛んだ人物ということになります。
彼は当時、飛行実験で世間を騒がせたとして逮捕されたこともありました。それでも、夢を叶えようとしたチャレンジ精神は、時代を超えて大切なことを教えています。
彼は、若いころに抱いた〝大空を飛びたい〟との夢を、失敗を繰り返しながらも、ついに成功させた、と伝えられています。同町では、その偉業をたたえ、弓の弾力を活用した、彼の飛行機のレプリカを製作し、展示しています。
「飛び安里」が実際に飛行に成功したという文献は少なく、伝承によるものが多いそうですが、今後、研究が進み、検証されれば、ライト兄弟より100年以上も早く、空を飛んだ人物ということになります。
彼は当時、飛行実験で世間を騒がせたとして逮捕されたこともありました。それでも、夢を叶えようとしたチャレンジ精神は、時代を超えて大切なことを教えています。
2017年01月04日
日記
「初日記 書くたのしさに 炭をつぐ」(『俳句歳時記』)。初春を迎え、新しい日記帳に記す喜びを詠んだ句です。「日記帳」が輸入されたのは約156年前、遣欧使節としてパリを訪れた福沢諭吉が購入し、持ち帰ったといわれています。
その後、人々に広がりました。トルストイが日記を始めたのは18歳。72歳の日記には「私の生涯の幸福な時期は、私がすべての生活を人々への奉仕に捧げた時であった」(中村融訳)と。日記は自己の修養の手段であったのです。
その後、人々に広がりました。トルストイが日記を始めたのは18歳。72歳の日記には「私の生涯の幸福な時期は、私がすべての生活を人々への奉仕に捧げた時であった」(中村融訳)と。日記は自己の修養の手段であったのです。
2017年01月03日
太陽が昇ると
ここは夜明け前の仙台市の青葉城址。凜とした空気の中、東天がオレンジ色に染まりだします。やがて、赫々たる旭日が昇り、一日の開幕を告げる。眼下に街並みが姿を現し、朝日を浴びたビル群や川面がキラキラと輝きだす。陽光に包まれた街全体が力強く律動を開始する朝の情景は、息をのむほどに美しいそうです。
太陽が昇ると、目に映る世界は一変する。人類の歴史も同じです。世界を変え、時代を開くのは、旭日のごとく、民衆を希望で照らす偉大な人間が“一人立つ”ところに端を発するのです。
太陽が昇ると、目に映る世界は一変する。人類の歴史も同じです。世界を変え、時代を開くのは、旭日のごとく、民衆を希望で照らす偉大な人間が“一人立つ”ところに端を発するのです。
2017年01月02日
世界の平和と民衆の幸福
「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」。61年前の1956年(昭和31年)元旦、創価学会の戸田城聖先生は詠みました。
さらにその時の聖教新聞・新年号を、中国の周恩来総理、インドのネルー首相ら東洋の指導者10人に送ったのです。「本紙を通じて仏教の何たるかの理解を一層深められ、以て東洋文明の為に尚一層の力を尽されます様」との書簡を添えて。
その5年後、池田先生はアジアへの第一歩をしるしました。のちに日中国交正常化提言を発表し、周総理と会見。ネルー首相の孫ラジブ・ガンジー首相をはじめ、インド各界のリーダーと深い親交を結んだのです。
世界の平和と民衆の幸福を開く、壮大なる師弟の旅路――その後に続いて今、世界広布新時代の足音が高まっています。
さらにその時の聖教新聞・新年号を、中国の周恩来総理、インドのネルー首相ら東洋の指導者10人に送ったのです。「本紙を通じて仏教の何たるかの理解を一層深められ、以て東洋文明の為に尚一層の力を尽されます様」との書簡を添えて。
その5年後、池田先生はアジアへの第一歩をしるしました。のちに日中国交正常化提言を発表し、周総理と会見。ネルー首相の孫ラジブ・ガンジー首相をはじめ、インド各界のリーダーと深い親交を結んだのです。
世界の平和と民衆の幸福を開く、壮大なる師弟の旅路――その後に続いて今、世界広布新時代の足音が高まっています。
2017年01月01日
黎明
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
スタート時点では名前はまだ明かされていませんでした。「ひとりの、やせ細った中年の男」が獄門を出た事実だけが描かれます。52年前の元日、聖教新聞で始まった小説『人間革命』の「黎明一」です。
その「男」戸田城聖第2代会長先生が出獄したのは東京・中野の豊多摩刑務所。昭和20年、この門を見つめながらの恩師の一歩から、創価の世界平和への大道が開かれたかと思うと、粛然たる思いがします。
スタート時点では名前はまだ明かされていませんでした。「ひとりの、やせ細った中年の男」が獄門を出た事実だけが描かれます。52年前の元日、聖教新聞で始まった小説『人間革命』の「黎明一」です。
その「男」戸田城聖第2代会長先生が出獄したのは東京・中野の豊多摩刑務所。昭和20年、この門を見つめながらの恩師の一歩から、創価の世界平和への大道が開かれたかと思うと、粛然たる思いがします。
2016年12月31日
明るい性格
本年も今日で終わりです。来年もよろしくお願いします。
さて、「明るい性格は、財産よりももっと尊いもの」と力説したのは、鉄鋼王のカーネギーです。「人間の心も体と同様に、日蔭から日光の照る場所に移るべきであるということを憶えておいていただきたい。陽の当たる場所へ出ようではないか」と呼びかけています。(坂西志保訳『カーネギー自伝』中公文庫)
さて、「明るい性格は、財産よりももっと尊いもの」と力説したのは、鉄鋼王のカーネギーです。「人間の心も体と同様に、日蔭から日光の照る場所に移るべきであるということを憶えておいていただきたい。陽の当たる場所へ出ようではないか」と呼びかけています。(坂西志保訳『カーネギー自伝』中公文庫)
2016年12月30日
助走を開始
年の初めが寒い時期であることをよしとしたのは、希代のコラムニストといわれた深代惇郎だった。寒さが空気を引き締め、人の身も心も凜とさせる季節こそ、新しい決意で新しい年を迎えるのに、ふさわしい。と語っています。
真冬に送る年賀状でも、「新春」「迎春」と書きます。これは旧暦の季節感の名残なのですが、そこから人は、喜びあふれる一年に、との思いを受けります。厳冬の中、決意を抱き、鍛錬に励む人の心の中に、希望の春は鼓動を始めるのでしょう。
昼が最も短い「冬至」を過ぎました。立冬と立春の中間にあたり、これからは、日ごとに昼が長くなっていきます。天の運行は、すでに冬から春へ助走を開始しているのです。
真冬に送る年賀状でも、「新春」「迎春」と書きます。これは旧暦の季節感の名残なのですが、そこから人は、喜びあふれる一年に、との思いを受けります。厳冬の中、決意を抱き、鍛錬に励む人の心の中に、希望の春は鼓動を始めるのでしょう。
昼が最も短い「冬至」を過ぎました。立冬と立春の中間にあたり、これからは、日ごとに昼が長くなっていきます。天の運行は、すでに冬から春へ助走を開始しているのです。
2016年12月29日
努力を継続
はるか昔、中国の春秋時代。斉の国の宰相・晏嬰(晏子)は、博学多識にして、民の心を汲んだ政治を貫き、名声を馳せました。
彼の本領はどこにあったのか。自らこう語っています。「嬰は人に異ることあるにあらざるなり、常になして置かず、常に行きて休まざる者なり」(山田啄解説『晏子春秋』明徳出版社)。自分は人と変わったところはない。あるとすれば、何事も中途半端にせず、進み続けて休まなかっただけだと。
努力を継続できる。平凡に見えて、これほど強い生き方はありません。昔も今も。
彼の本領はどこにあったのか。自らこう語っています。「嬰は人に異ることあるにあらざるなり、常になして置かず、常に行きて休まざる者なり」(山田啄解説『晏子春秋』明徳出版社)。自分は人と変わったところはない。あるとすれば、何事も中途半端にせず、進み続けて休まなかっただけだと。
努力を継続できる。平凡に見えて、これほど強い生き方はありません。昔も今も。
2016年12月28日
一年を悔いなく
今年も残すところ3日です。“長かった”か“あっという間だった”か、あなたはどちでしょうか。
フランスの哲学者・ジャネが考案した法則があります。「生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢に反比例する」と。
こんな難しい言い方をせずとも、年齢を重ねるほどに、時間の流れを速く感じるものです。だからこそ、掛け替えのない一日、一年を悔いなく刻みたいものですね。
フランスの哲学者・ジャネが考案した法則があります。「生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢に反比例する」と。
こんな難しい言い方をせずとも、年齢を重ねるほどに、時間の流れを速く感じるものです。だからこそ、掛け替えのない一日、一年を悔いなく刻みたいものですね。
2016年12月27日
一代飛ばし
ある農家の「おじいさん」の話。ワシらは、昔から『一代飛ばし』で頑張ってきた」と。
荒れ地を開墾する。適した作物が見つかるまで、何度も失敗を重ねる。時間がかかる。子どもの時代には、無理かもしれない。「一代飛ばし」で、せめて孫の時代には豊かに――そんな思いで、おじいさんは頑張ってきたのだ。
「林業なんて、最初から、百年後を目指して木を植えてるよ」。はるか遠くの未来を見据えながら暮らしてきた先輩たちに、頭が下がったという。
きょうも「今」を耕そう。地道な持続のなかに、未来の豊饒は、きっと約束されていると信じて。
荒れ地を開墾する。適した作物が見つかるまで、何度も失敗を重ねる。時間がかかる。子どもの時代には、無理かもしれない。「一代飛ばし」で、せめて孫の時代には豊かに――そんな思いで、おじいさんは頑張ってきたのだ。
「林業なんて、最初から、百年後を目指して木を植えてるよ」。はるか遠くの未来を見据えながら暮らしてきた先輩たちに、頭が下がったという。
きょうも「今」を耕そう。地道な持続のなかに、未来の豊饒は、きっと約束されていると信じて。
2016年12月26日
繰り返しの中で
脚本家の山田太一さんは映画会社の助監督時代、木下惠介監督の脚本を口述筆記していました。寝転んだ木下監督が思考を巡らし、シナリオを語る。一度、口にしたせりふが訂正されることはなく、その才能に舌を巻いたそうです。
ある時、考える時間が長いなと思ったら、監督のいびきが聞こえてきました。待つ間、自分なりに展開の続きを考え、後でそのアイデアを披露するが、大抵は採用されない。そんな繰り返しの中で山田さんは気付いたという。「自分のつくりたい作品が、監督にぶつかることではっきりしてくる」と。(『その時あの時の今』河出文庫)
ある時、考える時間が長いなと思ったら、監督のいびきが聞こえてきました。待つ間、自分なりに展開の続きを考え、後でそのアイデアを披露するが、大抵は採用されない。そんな繰り返しの中で山田さんは気付いたという。「自分のつくりたい作品が、監督にぶつかることではっきりしてくる」と。(『その時あの時の今』河出文庫)
2016年12月25日
お年玉付き年賀はがき
今年の残り日数と競争するように、年賀状の筆を走らせている人も多い事でしょう。お世話になった方々への感謝の思い、また、迎える新年が幸多い一年となるよう、願いを込めて・・・・。
かつて、戦局が悪化した時や、終戦後の昭和の一時期、年賀郵便の特別取り扱いが停止されました。年賀状を出せるということは一つの”平和の証し”といえましょう。取り扱いが再開されるや、音信が途絶えていた知人の消息をつかもうと、人々は筆を執りました。
そんな中、関西の商人の考案で「お年玉付き年賀はがき」が発売されました。当時の特等はミシンだったそうです。1等は洋服の生地、2等が学童用本革グラブ、3等が学童用洋傘……。
物資が十分にない時代、子ども服を作ったり、子どもが喜ぶものが景品だったことが、ほほ笑ましいですね。「当たり」の人はもちろんうれしいが、賀状を送ったほうも、少しいいことをした気分になれた事でしょう。
一葉の便りには、人の気持ちがたくさん詰まっているし、新たな交流が生まれるきっかけにもなります。年の終わりに、思いを込めて、縁する人に、感謝の言葉や抱負をつづりたいものです。
かつて、戦局が悪化した時や、終戦後の昭和の一時期、年賀郵便の特別取り扱いが停止されました。年賀状を出せるということは一つの”平和の証し”といえましょう。取り扱いが再開されるや、音信が途絶えていた知人の消息をつかもうと、人々は筆を執りました。
そんな中、関西の商人の考案で「お年玉付き年賀はがき」が発売されました。当時の特等はミシンだったそうです。1等は洋服の生地、2等が学童用本革グラブ、3等が学童用洋傘……。
物資が十分にない時代、子ども服を作ったり、子どもが喜ぶものが景品だったことが、ほほ笑ましいですね。「当たり」の人はもちろんうれしいが、賀状を送ったほうも、少しいいことをした気分になれた事でしょう。
一葉の便りには、人の気持ちがたくさん詰まっているし、新たな交流が生まれるきっかけにもなります。年の終わりに、思いを込めて、縁する人に、感謝の言葉や抱負をつづりたいものです。
2016年12月24日
煙突
北海道・足寄町に小さな町工場があります。ここで製造される煙突は、結露や結氷を防止できる、国内有数の品質です。この技術を一人で支える職人兼工場長が、創価学会員で地元壮年部の本部長です。彼は、失業して悩んでいた青春時代、信心で奮起して、今の会社に入って以来、この道30年。数千本の煙突を全国に送り出してきました。
製造過程では、途中まで機械を用いるが、仕上げの微妙な部分は、拍子木でたたいて成型します。「最後に信頼できるのは、培ってきた感性と自分の腕一つです。ほかに取りえはないけれど、これだけは誰にも負けないよ」と、壮年。
機械も及ばぬ精密な匠の技。それは、受け身の姿勢からは生まれない。大いなる夢と理想を抱き、わが使命の道に打ち込むのに、年齢も環境も関係ないのです。
製造過程では、途中まで機械を用いるが、仕上げの微妙な部分は、拍子木でたたいて成型します。「最後に信頼できるのは、培ってきた感性と自分の腕一つです。ほかに取りえはないけれど、これだけは誰にも負けないよ」と、壮年。
機械も及ばぬ精密な匠の技。それは、受け身の姿勢からは生まれない。大いなる夢と理想を抱き、わが使命の道に打ち込むのに、年齢も環境も関係ないのです。