2016年04月04日
現在の「鶴橋」
「猪甘津(いかいつ)に橋をわたした。そこで、そこを名づけて小橋といった」(『日本書紀Ⅱ』井上光貞監訳、中央公論新社)。「猪甘津」は、現在の大阪市内にあった港のことです。ここに架けられた橋が、文献に登場する“日本最古の橋”といわれています。
江戸時代、「八百八橋」と称されるほど、大阪には多くの橋がありました。京橋、淀屋橋、心斎橋――今でも「橋」のつく地名が多く残っています。特徴的なのは、橋の多くが、町人たちが自ら費用を捻出してできたということです。
「日本一明るい経済新聞」編集長の竹原信夫氏は、大阪の特色について、“自分たちで何とかしようやないか”という発想と行動だと指摘しています。庶民がエネルギッシュで、誰に何を言われても諦めない力に溢れている――それが大阪だと。
冒頭の「猪甘津」の橋は、後に「つるのはし」と呼ばれ、現在の「鶴橋」となっています。
江戸時代、「八百八橋」と称されるほど、大阪には多くの橋がありました。京橋、淀屋橋、心斎橋――今でも「橋」のつく地名が多く残っています。特徴的なのは、橋の多くが、町人たちが自ら費用を捻出してできたということです。
「日本一明るい経済新聞」編集長の竹原信夫氏は、大阪の特色について、“自分たちで何とかしようやないか”という発想と行動だと指摘しています。庶民がエネルギッシュで、誰に何を言われても諦めない力に溢れている――それが大阪だと。
冒頭の「猪甘津」の橋は、後に「つるのはし」と呼ばれ、現在の「鶴橋」となっています。