2015年11月10日

これでは日本の将来が危険である

 「これでは日本の将来が危険である」。と、学会が創立された1930年、牧口初代会長は友人に綴りました。
 当時は第1次世界大戦の余波で、政治や経済が大混乱していました。教育界にも、しわ寄せが及び、初代会長の苦悩は極まったのです。「最近の教育行政も、また実務にあたる学校教師も全く事務的で精神がなく、教育の破壊をしている」と。  実は、大正から昭和初期、教育界は、数字上は発展期でした。中学の生徒数は1920年からの10年で倍増。18年の大学令以降、大学の認可が相次ぎ、大学生の数も8倍近くになりました。
 だが教育内容は、国家主義の傾向を強めていき、牧口会長の憂慮から15年、日本は敗戦を迎えました。一見、飛躍的な教育環境の前進の中で、行く末に警鐘を鳴らした慧眼が光ります。  

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2015年11月09日

「国柄」とは「人柄」

 東北が穀倉地帯となったのは、何百年にもわたる、たゆまぬ努力のたまものです。
 江戸時代、伊達家の仙台藩は「伊達の国柄」といわれました。「国柄」とは、農産物が豊かで国が富んでいることです。仙台藩は、表高は62万石でしたが、最盛期は100万石を超えたといわれています。
 原動力は藩祖・政宗の情熱でした。関ケ原の戦いの後、家康に領地加増の約束をほごにされ、それではと、〝生産量では日本一になってみせる〟と挑戦を開始しました。
 新田開発を奨励し、北上川の流れを付け替え、人材を登用して洪水対策も行い、豊作を実現する。このコメが巨大都市・江戸を支え続けたのです。
 だが政宗は「国」の豊かさだけを追ったのではありません。家臣をこう戒めました。「古歌に『人は堀人は石垣人は城情けは味方怨は大敵』とある。これはまことのことだ」(岡谷繁実著/北小路健・中澤惠子訳『名将言行録 現代語訳』)と。
 国づくりの土台は「人」、目的も「人」です。人の情熱、人の努力、人の団結、人の喜びがあってこそ、豊かな社会となる。この原理は、時代を超えて変わりません。「国柄」とは「人柄」でもありましょう。  

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2015年11月08日

あす9日まで読書週間です

 あす9日まで読書週間です(文化の日を中心にした2週間で10月27日~11月9日)。
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県・大槌町。震災後に開店した書店が、震災で親を失った町の子どもたちに年1回、その店だけで使えるオリジナルの図書券を贈っているそうです。
 未来を担う子どもたちに図書券を贈呈し始めて4年目。震災時に生まれた子どもが高校を卒業するまでは続けたいという。つまり、2029年までの長期的な支援を目指しています。震災から4年8カ月を迎えますが、被災地を歩くと、こうした草の根の支援を「続ける」ことが大切と感じます。  

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2015年11月07日

変化の動き

 アメリカのシアトルというと、世界中に展開するコーヒーチェーンが有名です。そのシアトルでも、数年ほど前から、同じような変化の動きがあるそうで。チェーン展開する店ではなく、小さな店を地域住民の居場所にして、顔なじみの人たちに、丁寧にコーヒーを入れるスタイルが流行しています。
 ゆっくりとコーヒーを味わいながら、本を開き、音楽を聴く。そして、人とのつながりを慈しむ。「心の幸福」に重きをおく――そんな時代が始まりつつある予感がします。  

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2015年11月06日

二軍監督が心を砕くのは

 プロ野球の日本シリーズは、ソフトバンクの優勝で幕を閉じました。栄光を目指して戦うのは、二軍の監督も同じです。日本一へ、戦力となる選手を一軍に送ろうと必死なのです。
 二軍監督が心を砕くのは、技術面だけではありません。例えば、ある球団の監督は就任直後、選手にこう訓示しました。「毎日、ヒゲを剃ってグラウンドに出ろ」。観客に対する身だしなみを強調したのです。社会人としての自覚を徹底させることが、緻密なプレーの意識付けにもつながるという。
 二軍で猛練習に挑み、首位打者のタイトルを獲得した選手が、自信を持って語るっています。「ここ(二軍)は、人間修行の場なんですよ」(『プロ野球 二軍監督』赤坂英一著、講談社)。野球界のトップの世界に入る選手たちの、能力差はわずかなもの。成功するかどうかに、礼儀や感謝という人間力が関わるという視点は新鮮でした。心を磨くことで、技術も生かされるのです。  

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2015年11月05日

送り届ける慣習

 豪雪で知られる山形県庄内地方。この地域では昔、冬の朝、上級生が下級生を自分のマントに包み込むようにして吹雪から守り、小学校まで送り届ける慣習があったそうです。、
 この慣習は、誰かに命じられたわけではありません。「かつての自分がそうされたように、今度は〝守る側〟になった」。白い雪のように純真な心が受け継がれていたことに、胸を打たれます。  

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2015年11月04日

教育のための社会

 文部科学大臣「優秀教員表彰」に輝いた下野六太氏は「生徒の成長に手応えを感じる幸せが、私を突き動かしています」と、著書『跳べた!泳げた! 必ずできる!』(鳳書院)で述べています。
 混迷を極める教育界ですが、“子どもの成長が私の幸福”“子どもの幸福が私の喜び”と言い切れる教育者が増えていけば、希望の未来は必ず開けます。
 子どもの成長とともに、教師の成長も見守り続ける「教育のための社会」の構築が肝要ですね。  

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2015年11月03日

見えないゴリラ

 有名な心理学の実験に“見えないゴリラ”があります。内容は、バスケットボールの試合映像を見て、片方のチームのパス回数を被験者に数えてもらう。途中、着ぐるみのゴリラが登場し、コートを横切るが、半数の人はそれに気付かない。真っ赤なゴリラの着ぐるみでも、同様の結果になるそうです。
 実験後に再び映像を見せると「あれを見のがしたの?」と皆、一様にビックリするそうです。これは、一つのことに集中すると、「ゴリラ乱入」という異常な出来事さえ、風景の中に溶け込んでしまうのです。同様に、耳も、聞きたいものだけを聞く「選別」をしている。つまり、「意識を向ける」ことが気付きの一歩といえます。  

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2015年11月02日

文豪ゲーテ

 「人間が一人でいるというのは、よくないことだ」「むしろ何事かをなしとげようと思ったら、他人の協力と刺戟が必要だ」(山下肇訳)。これは文豪ゲーテが晩年、青年に語り残した言葉です。
 彼は、戦乱や対立が渦巻く時代にあって、果敢に友情を広げたことで知られています。劇作家のシラー、歴史家のカーライル、詩人のプーシキンら、その交友は多彩です。こうした人間交流の触発から、数々の名作が生み出されていったのです。
 ワイマール・ゲーテ協会のマンフレット・オステン顧問が、創価学会の池田名誉会長との対談で述べています。「ゲーテにとって友情とは、生きる上で中心となるもの」だったと。  

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2015年11月01日

師弟の絆

 東日本大震災を機に、今こそ日本人になりたい、と国籍を取得した文学者のドナルド・キーンさん。彼には日本人の恩師がいました。米国で「日本学」を育てた角田柳作氏です。
 太平洋戦争開戦の3カ月前、角田氏がコロンビア大学で日本文化の講義を担当した際、希望者はキーンさん1人。恐縮し、辞退を告げると、角田氏は「一人でもいい、やります」。自分の研究を犠牲にしても授業に万全を尽くしました。〝先生は自分のすべてを与えていました〟とキーンさん。彼の数々の業績の礎に、戦時の師弟の絆があったのです。  

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