2015年11月09日

「国柄」とは「人柄」

 東北が穀倉地帯となったのは、何百年にもわたる、たゆまぬ努力のたまものです。
 江戸時代、伊達家の仙台藩は「伊達の国柄」といわれました。「国柄」とは、農産物が豊かで国が富んでいることです。仙台藩は、表高は62万石でしたが、最盛期は100万石を超えたといわれています。
 原動力は藩祖・政宗の情熱でした。関ケ原の戦いの後、家康に領地加増の約束をほごにされ、それではと、〝生産量では日本一になってみせる〟と挑戦を開始しました。
 新田開発を奨励し、北上川の流れを付け替え、人材を登用して洪水対策も行い、豊作を実現する。このコメが巨大都市・江戸を支え続けたのです。
 だが政宗は「国」の豊かさだけを追ったのではありません。家臣をこう戒めました。「古歌に『人は堀人は石垣人は城情けは味方怨は大敵』とある。これはまことのことだ」(岡谷繁実著/北小路健・中澤惠子訳『名将言行録 現代語訳』)と。
 国づくりの土台は「人」、目的も「人」です。人の情熱、人の努力、人の団結、人の喜びがあってこそ、豊かな社会となる。この原理は、時代を超えて変わりません。「国柄」とは「人柄」でもありましょう。

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