2015年11月01日
師弟の絆
東日本大震災を機に、今こそ日本人になりたい、と国籍を取得した文学者のドナルド・キーンさん。彼には日本人の恩師がいました。米国で「日本学」を育てた角田柳作氏です。
太平洋戦争開戦の3カ月前、角田氏がコロンビア大学で日本文化の講義を担当した際、希望者はキーンさん1人。恐縮し、辞退を告げると、角田氏は「一人でもいい、やります」。自分の研究を犠牲にしても授業に万全を尽くしました。〝先生は自分のすべてを与えていました〟とキーンさん。彼の数々の業績の礎に、戦時の師弟の絆があったのです。
太平洋戦争開戦の3カ月前、角田氏がコロンビア大学で日本文化の講義を担当した際、希望者はキーンさん1人。恐縮し、辞退を告げると、角田氏は「一人でもいい、やります」。自分の研究を犠牲にしても授業に万全を尽くしました。〝先生は自分のすべてを与えていました〟とキーンさん。彼の数々の業績の礎に、戦時の師弟の絆があったのです。