2016年09月13日

何物にも替え難い充実感

 自身の経験が誰かに必要とされ、前進の力へと変わる。そこには、何物にも替え難い充実感があります。「妙法は活の法門である。全ての体験を活かしていけるのだ。何ひとつ、塵も残さず、無駄なことはない。これが信心の大功徳です」と創価学会の戸田第2代会長は述べています。  

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2016年09月12日

広布後継の師子吼

 創価学会の音楽隊は、池田SGI会長の手作りです。友は師の期待を胸に、仕事や学業の合間を縫って練習を重ねます。このような、自分を強く鍛える忍耐と努力があるからこそ、聴く人の心を鼓舞するのです。
 結成から62周年を迎え、今、音楽隊は“日本一の楽団”となり、世界に広がる“オンガクタイ”となりました。
 音楽に国境はない。心に国境はない。「楽器」は「人間の声の代理」――こう語った音楽家がいましたが、音楽隊の友の楽器から流れる“声”とは、師弟共戦の誓願であり、広布後継の師子吼なのです。  

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2016年09月11日

チリの9・11

 「9・11」を南米チリの人々は忘れません。1973年のこの日、軍事クーデターによって民主政治が葬られた日なのです。チリSGIのチネン理事長(当時)の家も機銃掃射を浴びました。以来、15年以上の恐怖政治の間、SGIの活動は管理下に置かれ、座談会も自由に開けなかったのです。
 エイルウィン元大統領らの闘いで、民政移管が成ったのは90年。その3年後、同志に春が訪れました。白銀のアンデスを越えて池田SGI会長がやって来たのです。チリは「50番目」の訪問国でした。そして、チリから初の名誉学位が贈られました。学位を贈ったペドロ・デ・バルディビア大学のマウレン総長も、元大統領らと共に闘い、投獄された一人。元大統領との対談集を通してSGI会長を知った総長は「二人の偉人が、互いの人間主義と連帯の思想に共感し、友情を育むことは、決して不思議ではない」と語っています。
 チリの民主化の価値は、それを非暴力で、歌やダンスや絵、“主婦が一斉に鍋を叩いて抗議する”といった文化の力で成し遂げた点にあります。これは東欧の民主化につながっていったとも評価されています。  

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2016年09月10日

世界記憶遺産

 1215年に調印されたマグナ・カルタ、ベートーベンの交響曲第9番ニ短調作品125、アンネ・フランクの日記。これは300以上の登録件数がある世界記憶遺産の一端です。
 世界記憶遺産は、世界遺産、世界無形文化遺産とともに、ユネスコの三大遺産事業の一つです。日本からは、炭坑の生活を伝える記録「山本作兵衛コレクション」など、3件が登録されています。
 私たちの「今」があるのは、「過去」の積み重ねがあってこそ。人類の不断の努力の上に成り立っています。世界記憶遺産は、その記憶を長くとどめるための取り組みなのです。  

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2016年09月09日

時間がない

 仕事、家事、育児に追われ、「時間がない」が口癖だった婦人。ある時、4歳の娘に言われたそうです。「時間はどこでなくしたの? 一緒に探すよ」と。その婦人はハッとしたそうです。子供からは母親が、落とし物が見つからず、困っているように見えたのでしょう。きっと笑顔も消え、知らず知らずのうちに、心配を掛けていたかもしれない。なくしていたのは時間でなく、〝心の余裕〟だった――以来、婦人は「時間がない」という言葉を、「充実しているわ」に置き換えるようにしたそうです。
 〝心のスイッチ〟を「受動」から「能動」に切り替えることで、時間の捉え方も違ってきます。何をやるにせよ、受け身の人は重荷に感じ、前向きの人は心軽やかに進めて いけます。この生命の勢いが、多忙の中にも心の余裕を生むのです。  

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2016年09月08日

第五福竜丸

 「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。これは1954年(昭和29年)9月、アメリカの水爆実験による〝死の灰〟を浴びて亡くなった、無線長・久保山愛吉さんの悲痛な叫びです。
 この言葉は、東京・江東区の第五福竜丸展示館の記念碑に刻まれています。そして、久保山さんが亡くなる半年前の3月、マーシャル諸島のビキニ環礁で被ばくした漁船「第五福竜丸」の名は、歴史に残っています。  

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2016年09月07日

福島県の飯舘村・浪江町

 本年は戦後71年です。福島県の飯舘村には、私たちが忘れてはならない歴史があります。同村は全戸の3分の1が、旧満州などからの引き揚げ。未開拓の荒れ地だった飯舘に入植した(福島県農地開拓課『福島県戦後開拓史』)。
 隣の浪江町も、半数が引き揚げ家族です。この地域は、県内の他地域と比べても、気温が数度低い寒冷地です。人々は木を切り、土地を耕し、半世紀がかりで、「日本一美しい村」にも選ばれている麗しい里をつくりました。
 だが今、村には、除染した後の包材があちこちに積まれています。  

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2016年09月06日

負の遺産

 長崎の原爆遺構が国の文化財に登録されています。城山小学校(旧・城山国民学校)にある被爆校舎など4件となっています。被爆校舎には、原爆の熱線による凄まじい焦げ跡が残っています。爆心地から500㍍の同校では1400余人の児童、31人の教職員、105人の学徒報国隊員らが亡くなりました。戦後、建て替えや解体の話もありましたが、原爆の脅威を伝える建築物として保存されてきました。
 後世への戒めとなる遺構を「負の遺産」という。世界遺産にも、原爆ドームのほか、アウシュヴィッツの強制収容所、アパルトヘイト(人種隔離)で政治犯を収容したロベン島などがあります。  

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2016年09月05日

小学校の卒業文集

 「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になりたい」。小学校の卒業文集に記した夢。それを約40年かけて実現したのが、テレビ番組「題名のない音楽会」でおなじみの佐渡裕さんです。
 佐渡裕さんが、かつてフランスで苦闘していた時、確認したことがあります。自信とは「ありのままの自分を信じられること」。それまでは、「自分を強く見せること」だと錯覚していた(『僕が大人になったら』PHP文庫)と。  

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2016年09月04日

山下公園

 神奈川県・横浜市にある山下公園は今年、開園86周年を迎えます。この公園の開園には、関東大震災の苦難の歴史が刻まれています。1923年(大正12年)9月、南関東を中心に甚大な被害を出した大震災。震源は、東京よりも横浜に近かったのです。
 横浜では、火災による死傷者数は東京より少なかったものの、住家全壊率が80%を超えるなど、壊滅的な被害を受けました。その折に発生したがれきを集めて埋め立てたことが、園地の基礎になっていると記録されています。今、園内で憩う人々の姿からは想像できませんが、山下公園は、荒廃から立ち上がる市民の、不屈の精神の象徴でもあるのです。  

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2016年09月03日

平均寿命

 「人間五十年……」とは、織田信長が好んで歌い舞ったといわれる「敦盛」の一節ですが、なんと、平均寿命が50年を超えたのは戦後のことです。まして、鎌倉時代は、戦乱・疫病等で、長寿を全うするのは容易でなかったようです。
 創価学会版の御書をひもとくと、日蓮大聖人御在世当時、高齢の門下が、師弟の道を意気軒高に進んでいた様子が浮かび上がります。例えば、90歳になる富木常忍の母が、丹精込めて縫い上げた帷子をご供養した際、大聖人は「自ら両目を無理し、身命を尽くして作られたことでしょう」「(この恩は)報じがたい」(968ページ、通解)と返礼を送られています。
 また日興上人は、大聖人の御入滅後も、半世紀にわたって妙法流布に生き抜かれました。「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書1618ページ)――この「日興遺誡置文」は、亡くなる直前に記されたと伝わっています。  

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2016年09月02日

ますます強くなります

 日本画家の朝倉摂さんは、子ども時代から絵画に没頭していたそうです。10代のころ、夜、地球の反対側では、まだ現役だった巨匠・ピカソが描いているかと思うと、居ても立ってもいられず、徹夜で絵を描いたという逸話もあります。
 影響を受け、尊敬する人物が偉大であればあるほど、自分も成長しようという意欲は、ますます強くなります。朝倉さんは後年、活躍の分野を広げ、舞台美術家としても国内外で注目されてもいます。  

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2016年09月01日

こころはだれにも見えない。けれどこころづかいは見える

 「確かに〈こころ〉はだれにも見えない/けれど〈こころづかい〉は見えるのだ」「同じように胸の中の〈思い〉は見えない/けれど〈思いやり〉はだれにでも見える」。これは詩人・宮澤章二さんの詩の一節です(『行為の意味』ごま書房新社)「こころ」を「つかう」。「思い」を「やる」――つまり、心や思いは、具体的な行為に表してこそ、相手に伝わるものでしょう。
 近代看護の礎を築いたナイチンゲール。教え子が、不規則で激務の仕事に就いていることを熟知する彼女は、手紙を送る際、いつもこう書き添えたという。“私が何かの役に立てるなら、遠慮せずに言ってください”。その心遣いに、弟子たちは困難に立ち向かう勇気をもらったに違いありません。  

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2016年08月31日

あす9月1日は、「防災の日」です

 あす9月1日は、「防災の日」です。93年前、関東大震災が起きた日から定められました。
 東京・墨田区にあり、3万8000人が亡くなった陸軍被服廠跡地(現在の横網町公園)。その一角に開設された「復興記念館」の展示品に、震災後、各地から寄せられた支援金品の量を示すグラフがあります。これを見ると援助の手で被災地が包まれたことが分かります。「防災の日」とは、支え合う心と心の絆に思いをいたす日でもあるのです。  

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2016年08月30日

「原点」に立ち返える

 東日本大震災が起こった際、大震災と津波の被害で輪転機が止まる中、水没を免れたロール紙をカッターで切り、手書きで作成された石巻日日新聞の「壁新聞」。後日、そのいくつかがアメリカの 報道博物館「ニュージアム」のほか、日本でも展示されました。
 新聞の原点は、読者の「知りたい」というニーズに応えること。“何として も伝える”という使命感みなぎる、手書きの紙面には圧倒的な力がありました。窮地に陥った時、「原点」に立ち返り、再び歩み始める――そういう人に行き詰まり はない。原点こそ、不屈の前進を支える力です。  

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2016年08月29日

幸福は誰もが望みます

 幸福は誰もが望みます。しかし”自分の幸福”を追求してはならない、とカントは考えた(『人倫の形而上学』)。
 目指すべきは「自分の完全性」と「他人の幸福」です。相手の幸せを祈りつつ、自らは鍛えと向上の日々を歩み抜く生き方が必要です。そこに、おのずと自身の幸福境涯も開かれる事でしょう。
 これが逆になると、人の世は悲劇に陥ります。つまり、相手にのみ完全性を要求し、それにより自分の幸福を実現しようとするやり方です。  

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2016年08月28日

歌には心を結び付ける力

 声は人それぞれですが、他者の声によく耳を傾け、相手の声を生かすことで、自分の声も生かされます。またリズムよく縦横に織り成される声の響きを聴くだけで、喜びが湧いてくるから不思議ですね。これは、生命の一つの法則なのでしょうか。 歌には心を結び付ける力もあります。「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の名曲で有名なアメリカ公民権運動の指導者キング氏は言っています。「歌はわれわれを結束させ、われわれに勇気を与え、そしてわれわれが一緒に行進するのを助けてくれた」(クレイボーン・カーソン編、梶原寿訳『マーティン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)と。  

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2016年08月27日

13年の歳月

 人間が生み出す科学技術は、日進月歩で向上します。だが、人間そのものは、一朝一夕には“進化”しないものです。
 リオ・オリンピック・男子100㍍で三連覇を果たしたウサイン・ボルト選手。7年前、世界新記録の9・58秒を出した時、ゴールまで41歩で走ったという。平均すると1歩あたり0・23秒になるそうです。1996年につくられた、当時の世界記録が9・84秒。およそ「1歩分」を縮めるのに、13年の歳月を要したことになる計算です。  

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2016年08月26日

 「馬偏(うまへん)」であることから分かるように、かつて駅は、街道の主要な場所にあって、馬を乗り換えたり宿泊したりするために設けられた「宿駅」を指しました。
 リレー形式の長距離走を「駅伝」といいますが、これも宿駅を中継して公文書などを送り届ける駅伝制度に由来しています。明治時代に鉄道が導入された際、この宿駅から転じて、列車が停車する場所を「駅」と呼ぶようになったそうです。
 旅客や貨物を扱うための停車場にすぎなかった駅にも近年、イメージに変化が見られます。「人々が活発に往来し、にぎわう」こと自体に価値が見いだされ、駅構内の商業施設である「駅ナカ」や、駅で開くコンサート「駅コン」などが注目されています。
 快適なドライブを応援し、地域活性化の拠点ともなる「道の駅」も、90年代から整備が進み、全国で千カ所を超えているそうです。  

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2016年08月25日

サハリン

 日本の終戦記念日は8月15日ですが、当時の国内で、その後、約1週間も戦闘が続いた地があります。樺太(現在のサハリン)です。
 この地にソ連軍が攻め込む中、持ち場を離れず職務を貫く、若き女性電話交換手たちがいました。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」との通信文を残し、彼女らが集団自決したのは8月20日。この言葉は、北海道の稚内公園にある「九人の乙女の碑」に刻まれています。
  

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