2017年04月25日
志の大きさ
江戸時代の村々では、地図にあたる「村絵図」を作っていました。合わせると「国絵図」になり、さらに集成すると「日本総図」になります。だが、その精度は、同時代に伊能忠敬が作製した日本地図に及びませんでした。
しかし忠敬が用いた測量法は、工夫こそ凝らしていますが、当時の一般的な方法で、技術には大差はありませんでした。では何が違ったか。それは“志の大きさ”であるといわれています。忠敬は「地球上における日本の位置と形を明らかにしようとした」(星埜由尚著『伊能忠敬』山川出版社)と。
気宇壮大な忠敬は、一方で、実際の仕事は丁寧でした。現地を自分の足と目で測量しました。調査の及ばなかった場所は、地図には書かなかったのです。北海道は弟子が測量し完成させました。
しかし忠敬が用いた測量法は、工夫こそ凝らしていますが、当時の一般的な方法で、技術には大差はありませんでした。では何が違ったか。それは“志の大きさ”であるといわれています。忠敬は「地球上における日本の位置と形を明らかにしようとした」(星埜由尚著『伊能忠敬』山川出版社)と。
気宇壮大な忠敬は、一方で、実際の仕事は丁寧でした。現地を自分の足と目で測量しました。調査の及ばなかった場所は、地図には書かなかったのです。北海道は弟子が測量し完成させました。