2012年08月22日

福澤諭吉

 福澤諭吉は現在の大阪市福島区の生まれで、同市北区に墓所がある緒方洪庵に学びました。
 揮毫の右肩に捺す印に「無我他彼此」とあります。「がたぴしなし」と読み、人間関係などの円満さを表しているそうです。また「我他彼此」には仏教思想が根底にあります。あらゆるものが互いに依存し合っている本質を見失い、我と他、彼と此を対立的に見る愚行を戒めています。
 さらに、諭吉といえば「独立自尊」が信条ですが、決して孤立はしませんでした。書の左下の落款印(雅号の印)には「三十一谷人」と印しました。「三十一」を1字にすれば「世」(卅と一)になり、「谷人」は“人偏に谷”で「俗」――「世俗」でを表しています
 日々、世の人々に交わり、時に導き、近代化を推進した福澤諭吉が重んじたのが、「演説」と「新聞」でした。英語の「スピーチ」を「演説」と訳し自ら率先して実践しました。日刊紙「時事新報」も創刊しました。声で、活字で、自身の主張を繰り返し展開した福澤諭吉です。

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