2012年08月23日

民衆のエネルギー

 戦国時代。大阪・堺は、世界的都市として、見事な発展を遂げていました。町を訪れた外国人宣教師は「堺の町より安全なる所なし」「町は甚だ堅固」「此町は(イタリアの)ベニス市の如し」と絶賛しています。
 その繁栄の因は何か? 強大な権力を持つ領主ではなく、町人たちが合議で町を運営していたからといわれています。いわば、民衆を基盤としたからこそ堺の繁栄はあったのです。
 しかし、堺の黄金の日々は、長くは続きませんでした。あの織田信長は重税を課し、さらに豊臣秀吉は町にめぐらされた壕を埋め、合戦の際に放たれた火によって、町は焼き尽くされてしまいました。
 堺市は現在、大阪府で2番目の政令指定都市となっています。堺空襲など大きな惨禍にも見舞われたましが、不死鳥のように蘇ってきました。町の発展の原動力は、今も民衆のエネルギーであり自治の精神、進取の気性でしょう。

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