2014年09月08日
歴史の闇の中
「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。これは1954年(昭和29年)9月、アメリカの水爆実験による〝死の灰〟を浴びて亡くなった、久保山愛吉さんの悲痛な叫びです。
この言葉は、東京・江東区の第五福竜丸展示館の記念碑に刻まれています。亡くなる半年前の3月、マーシャル諸島のビキニ環礁で被ばくした漁船「第五福竜丸」の名は、歴史に残っています。
久保山さんは「第五福竜丸」の無線長でした。だが当時、同じ海で漁などをしていた船は多数ありました。第五住吉丸、第二幸成丸、新生丸、弥彦丸……高知船籍が多かった。しかし、そのほとんどは歴史の闇の中に葬られました。
この言葉は、東京・江東区の第五福竜丸展示館の記念碑に刻まれています。亡くなる半年前の3月、マーシャル諸島のビキニ環礁で被ばくした漁船「第五福竜丸」の名は、歴史に残っています。
久保山さんは「第五福竜丸」の無線長でした。だが当時、同じ海で漁などをしていた船は多数ありました。第五住吉丸、第二幸成丸、新生丸、弥彦丸……高知船籍が多かった。しかし、そのほとんどは歴史の闇の中に葬られました。
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