2012年08月25日

「同生天」と「同名天」

 仏法にこんな教えがあります。人の両肩には、生まれた時から「同生天」と「同名天」がおり、この「同生天」と「同名天」はその人の善悪の行為を記録し、交互に天に報告しているという教えです。
 二人で見張っているわけだから、正確で漏れることがありません。仏法は、「業」という日常の行為の積み重ねを、擬人的な表現で教えています。他人が見ていようが、いまいが、私たちの行いはすべて、深い因果の理法の中に刻まれています。この教えの真意は、地道に善根を積んだことは自らの福徳と輝き、逆に手を抜いたり小手先で行ったことは最後に馬脚を現すと裏表の無い人間の完成を願っています。
 かつては、悪さをした子に「罰が当たるよ」と叱ったものです。今や罰を恐れぬ世となり、「他人に分からなければ」という風潮がはびこる世の中となりました。不正や横領、詐欺などの事件の多くは、目に見えない因果律を知らない社会に生まれるのではないでしょうか。

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