2012年08月18日

“居る”ことと、“戦う”こと

 戦国時代、織田信長が10年がかりで勝利を収めた「石山本願寺の戦い」がありました。後半の5年間は、重臣・佐久間信盛父子ら率いる軍勢が、敵陣・本願寺を取り囲んでいました。長い膠着状態の末、最後は信長の采配で、終止符を打ち信長軍が勝利しました。
 しかし、信長は、この直後、佐久間父子を遠国に“追放”しました。勝った末の重臣への処分に、皆が驚いきました。信長が自ら筆を執って父子に書き送った「折檻状」には、その理由が記されています。
 1、5年間も在陣していながら何ら成果を出せなかった。2、相手を大敵だからと攻撃しなかった。3、守りさえ堅固ならば、いずれ敵は屈服すると安易に構えていた。4、同志の戦う姿に触れても奮起できなかった。5、戦況について一度も信長に報告や相談がなかった。6、そのくせ自分の蓄財だけは怠らなかった――等。怒りに震えながら信長が綴った“罪状”は、19条にも及んでいます。
 戦場に“居る”ことと、“戦う”ことは違う。惰性や慢心や臆病を排し、勝利に向かって勇敢に前進しようとしてこそ、本物の戦いと言えます。

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