2011年11月25日

田中正造

 あの原発事故以来、田中正造が注目されています。城山三郎著『辛酸』は、民衆の機微に触れる正造の戦いぶりを描いています。

 集会で気勢を上げる。弁士の雄弁に、聴衆は沸き立つ。が、家へ戻って一人になると、空しい気分に包まれがち。官憲の切り崩しも、そこが狙いでした。それゆえ田中正造は演説会が終わると、すぐ懇談会をもったそうです。
 足尾銅山の鉱毒で、栃木県谷中村は衰亡の危機にありました。正造は衆院議員の職をなげうち、村民の救済に生涯を捧げました。時は日露戦争のさなか、国家と財閥を向こうに回しての戦いです。村民一人一人に注ぐ優しさは、権力への怒りと、表裏一体と言えます。その闘志を支えたものは何であったのでしょう。

 晩年、正造は聖書に親しみました。それが、すべての苦難を自らの糧とする力となった、と。座右の銘は「辛酸佳境に入る。楽また其の中に在り」。名も無き村民を断じて守らんとした正造の、たぎらんばかりの情熱は、やはりたくましい宗教性を帯びています。

 同時代の米国詩人ホイットマンは、万人のなかに等しく“内なる光”を認めるには宗教的な感性が欠かせないと考えました。だから彼は、新世紀への理念を「宗教的民主主義」と名付けています。

 


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