2017年08月15日

たどり着く真実

 一輪の花が咲いています。それを“何だ、スミレの花か”と認識した時点で、目の前の花は「スミレ」という“言葉”に置き換わります。だが、“言葉の邪魔”を排して見続ければ、花はその花ならではの美しさを明かしてくれます。小林秀雄の有名な評論です。
 私たちは多くの事象を「言葉」という記号に置き換えます。しかし、言葉の奥にある事実を見つめ、意味を突き詰めた末に、たどり着く真実があります。「ヒロシマ」「ナガサキ」も、「終戦の日」もそうでしょう。
 小林自身は「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいい」と、戦中に戦争を美化した反省を拒み、返す刀で、時流に合わせて戦争批判に転じた戦後知識人を冷笑しました。小林の態度の是非はさておき、聞こえのいい言葉を聞き、世の空気を読むだけでは「真実」が見えないのは、いつの時代も同じです。

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