2017年05月08日

団結は号令で生まれるものではない

 ある著名なドキュメンタリー写真家が生前、語っていました。1966年(昭和41年)、甲子園球場で開かれた、関西創価学会の「雨の文化祭」に招かれた思い出ですと。
 豪雨で、プログラムは途中休止を余儀なくされた。「なんとも、重苦しい雰囲気」が広がっていた。スタンドのざわめきがひどい。「学会って、もっと統制が取れた団体で、こういうとき、しわぶき一つないかと思っていた」と。
 しかし「ざわめき」のなか、カメラを構える。冷静になった耳に「ざわめき」の「正体」が聞こえてきました。一人一人が題目を唱えている。誰かの号令ではない。口々に上げている。だから、ばらばらに聞こえたのだ。〝ばらばら〟は自発の故だった。やがて題目は自然に一つになり、厚い雲を突き破るかに思えた。そして、西空から晴れ間がのぞいたのです。
 写真家は泣けて仕方がなかったという。「豪雨を止めた奇跡が起こった」からではない。命令ではなく、一人一人が自分の思いから唱題する姿。それが、やがて一つになった瞬間。その一部始終を目撃したからだと、いつも目を潤ませながら語っていました。
 団結は号令で生まれるものではない。一人一人の自発の思い、決意、誓い。それを引き出した一対一の励まし。そこに創価学会の強さがあるのです。

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