2013年09月08日
そして広島へ
太平洋戦争末期、原爆をどこに落とすか。事前にアメリカで「標的委員会」が開かれました。18都市から京都、広島、横浜、小倉、新潟に絞られたそうです。第1候補は京都に決定しました。しかし、これに猛反対したのがスティムソン陸軍長官でした。そして広島に決定されたそうです。
古都の文化的価値も考慮には入れたが、彼には別の思惑がありました。「京都に原爆を投下すれば全世界がアメリ カの行動をヒトラーの暴虐と同等であると非難するであろう」と。『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』(中公文庫)に詳しい
著者の長谷川毅氏はワシントン大学で博士号を取得し、米国市民権を持っていますが、「他の都市に投下することも暴虐行為であることには思い及ばなかった」と手厳しく述べています。
古都の文化的価値も考慮には入れたが、彼には別の思惑がありました。「京都に原爆を投下すれば全世界がアメリ カの行動をヒトラーの暴虐と同等であると非難するであろう」と。『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』(中公文庫)に詳しい
著者の長谷川毅氏はワシントン大学で博士号を取得し、米国市民権を持っていますが、「他の都市に投下することも暴虐行為であることには思い及ばなかった」と手厳しく述べています。
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