2013年08月27日

寒地稲作

〝寒地稲作の父″とたたえられる北海道農業の先駆者・中山久蔵。中山久蔵が「稲作は北海道では無理」という当時の常識に、挑戦を決意したのは42歳の時でした。久蔵は大阪出身で、農業は素人でした。しかし、筆舌に尽くしがたい労苦を重ねた末、北の大地に金色の稲穂を実らせました。
 後に久蔵は語っています。「開拓使の役人から厳罰にするとも、狂っているとも言われた。しかし見るがいい。こんなに稲作が、さかんになったではないか」と。だれが何と言おうとも、絶対に成し遂げてみせる――との「執念」が勝利をもたらしたのです。

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