2013年03月05日

責任

 日本語で「責任」というと、重い響きがあります。責任を「負う」「取らされる」など、英語ではどうか。哲学者の鷲田清一氏が、オバマ大統領の就任演説にある“新しい責任の時代”という言葉を取り上げていました。それは、自身や自国、世界に対する変革の責務を訴えるものでした。ケネディ大統領も就任時、〝人類の自由のために何ができるかを自らに問おう〟と述べています。二人の演説に通底する「責任」は、英語の「レスポンシビリティー」。「応答する」に由来し、“他者からの求めや訴えに応える用意がある”との意味を含む、と。
 しかし、日本語の「責任」に、そうした含意はありません。国家や組織の一員として「負う」責任であって、“私”に呼び掛けられたと自覚し担うものではない、と氏は述べている(『だれのための仕事』講談社学術文庫)

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