2012年08月04日
母親を大事にしなきゃいかん
被爆67年の夏。日本原水爆被害者団体協議会の坪井直代表委員の話です。あの8月6日、広島で熱線を浴びた坪井さんは、治療を求めて歩き続けるが、力尽き意識を失いました。幸いにして救助され、離島の似島に運ばれていったそうです。
一方、離れ離れになった母は必死に息子を捜していました。そして、似島に負傷者が運ばれたとの情報を聞き、やっとの思いで似島にたどり着く事ができました。だが、似島には1万人もの死傷者であふれかえり、なす術もありませんでした。ついに母は大声で息子の名を叫び始めたそうです。その母の声に反応し坪井さんは無意識にも『ここにおる』と手を上げたらしいと、当時を振り返っています。
そして、あの母親の声がなければ、今ここにはおらん、と坪井さん。 そして力を込め「母親を大事にしなきゃいかん」と。
一方、離れ離れになった母は必死に息子を捜していました。そして、似島に負傷者が運ばれたとの情報を聞き、やっとの思いで似島にたどり着く事ができました。だが、似島には1万人もの死傷者であふれかえり、なす術もありませんでした。ついに母は大声で息子の名を叫び始めたそうです。その母の声に反応し坪井さんは無意識にも『ここにおる』と手を上げたらしいと、当時を振り返っています。
そして、あの母親の声がなければ、今ここにはおらん、と坪井さん。 そして力を込め「母親を大事にしなきゃいかん」と。
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