2012年07月22日

どげんかせんといかん

 あの知事の“どげんかせんといかん”のフレーズでブームとなったのが九州・宮崎県です。
 しかし82年前、県内に初めて定期遊覧バスを走らせたのは、“宮崎観光の父”と呼ばれる岩切章太郎氏でした。当時、隣県の大分・別府の温泉街は「旅の不夜城」と称されるほど、賑わっていました。一方、当時の宮崎には温泉がありませんでした。そこで氏は、アメリカからフェニックスの種子を輸入。日南海岸などに植樹し、現在の「南国・宮崎」の景観を作り上げました。
 氏は、自身の行動力の源泉の一つに、恩師と仰ぐ人物の言葉を挙げています。それは「心配するな工夫せよ、という教訓」(『心配するな工夫せよ』鉱脈社)。心配する時間があるなら、何が自分にできるのかを考え挑戦せよ、というわけです。


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泉がありませんでした。そこで氏
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