2012年06月29日
扉
心には「扉」があります。それを開かなければ、言葉は相手に届きません。
一つの例です。場面は満員の最終電車。ドアの前に若者たちが座り込み、騒いでいます。乗客の一人が、にこやかに「ちょっとごめんね。降りるよ!」と声をかけた。若者たちはびっくりしたように見上げ、身を寄せました。降りしな客は「おやすみ!」と。彼らはほおを赤らめ、立ち上がった「おやすみ!」。その光景を目にして思った。もし客が、不機嫌な顔つきで「邪魔だ。どけよ!」と告げたとしたら……。ひと悶着起きたかもしれない。理由はどうあれ「不機嫌は怠惰の一種」とは、ゲーテの指摘です。正論といえども“伝え方”には、やはり配慮が欠かせません。
一つの例です。場面は満員の最終電車。ドアの前に若者たちが座り込み、騒いでいます。乗客の一人が、にこやかに「ちょっとごめんね。降りるよ!」と声をかけた。若者たちはびっくりしたように見上げ、身を寄せました。降りしな客は「おやすみ!」と。彼らはほおを赤らめ、立ち上がった「おやすみ!」。その光景を目にして思った。もし客が、不機嫌な顔つきで「邪魔だ。どけよ!」と告げたとしたら……。ひと悶着起きたかもしれない。理由はどうあれ「不機嫌は怠惰の一種」とは、ゲーテの指摘です。正論といえども“伝え方”には、やはり配慮が欠かせません。
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