2012年04月08日

青年の限りない可能性

 幕末の志士たちが友情を育んだ山口県下関市。関門海峡のほとりに、高杉晋作と坂本竜馬の顔が浮き彫りにされた「青春交響の塔」が立っています。
 晋作は1863年に、民衆決起の組織「奇兵隊」を創設しました。片や竜馬は65年に「海援隊」の母体「亀山社中」を結成しました。倒幕戦では、晋作が奇兵隊を指揮し、竜馬も貢献しました。だが、両雄とも明治維新の前年に世を去りました。満年齢で晋作27歳、竜馬32歳の若さでした。
 創価学会の戸田第2代会長は日本史を通観して、歴史を変革したのは「みな青年の戦い」と強く訴えていました。そして「青年は水のごときものだと思う」と語っています。戸田第2代会長は、川によどんで滞留している時は悲しいと思い、堂々と流れている様は頼もしいと感じ、ひとたび怒濤となった時には船をも壊す勢いがあると、その限りない可能性に期待したのです。


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