2012年03月29日

江戸時代は「鎖国」でなかった

 江戸時代は「鎖国」でなかった――これが今、定説になりかけています。
 鎖国であっても江戸時代の当時、海外への窓口は四つありました。長崎・対馬・薩摩・松前です。ここをを通じて中国・オランダ・朝鮮・琉球・蝦夷と交流していました。この対策を通して日本は、東アジアにおいて確固とした存在感をもっていました。その一つとして朝鮮通信使の来訪も、約200年にわたり、計12回に及んでいます。
 “鎖国は家康公以来の方針”と言われ出したのは、江戸後期になってからの話だそうです。真実は、ロシアの通商要求を断るための口実であったという(ロナルド・トビ著『「鎖国」という外交』小学館)
 歴史は、不変ではありません。新たな研究成果が、歴史を書き換えることもあります。時代思潮により、過去の見え方も変わってくる事でしょう。「すべての歴史は現代史である」との、クローチェの言葉が脳裏に浮かんできます。


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