2018年07月05日
なは(那覇)の日
7月8日は、「なはの日」。沖縄・那覇市では、この日を中心に、観光PR行事や、那覇の歴史・史跡への理解を深める取り組みなどが催されます。
琉球王朝時代、王府・首里城があり、王都として栄えた那覇市。当時、中国や東南アジア諸国との「中継貿易の拠点」としても繁栄し、那覇の港は貿易船が往来する舞台となりました。
資源も少なく、小さな国である琉球が、諸国と交易できたのはなぜか。ある歴史家は「琉球の人々は、ダイナミックに交流するスピリッツとともに相手国との信頼関係を大事にしたから」と考察しています。当時の外交文書にも、琉球国王がマラッカ王に対し“東西南北の海で結ばれた互いは兄弟であり、家族である”と呼び掛け、信頼関係を築こうとした記述が残っています。
琉球王朝時代、王府・首里城があり、王都として栄えた那覇市。当時、中国や東南アジア諸国との「中継貿易の拠点」としても繁栄し、那覇の港は貿易船が往来する舞台となりました。
資源も少なく、小さな国である琉球が、諸国と交易できたのはなぜか。ある歴史家は「琉球の人々は、ダイナミックに交流するスピリッツとともに相手国との信頼関係を大事にしたから」と考察しています。当時の外交文書にも、琉球国王がマラッカ王に対し“東西南北の海で結ばれた互いは兄弟であり、家族である”と呼び掛け、信頼関係を築こうとした記述が残っています。
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