2018年06月26日

安積疎水

 日本三大疎水の一つである福島県郡山市の安積疎水。この開拓の物語が一昨年、文化庁の「日本遺産」に認定されました。これは山脈に隔てられた湖と平野を水路でつなぐという、明治政府初の国営農業水利事業です。
 推進したのは“維新三傑”の一人・大久保利通でした。窮乏した武士の救済と近代化のモデルを安積開拓に託しました。しかし彼は道半ばで凶刃に倒れ、計画は頓挫しかけたのです。
 この時、当時の福島県令・山吉盛典が立ち上がりました。安積開拓を「内国開墾の第一着手にして、則ち他日の標準雛形とも称すべし」と語った大久保の言々句々を『済世遺言』としてまとめ、彼の遺志を説いて回ったのです。その後、旧士族の入植者をはじめ、のべ85万人が開拓に加わり、構想から11年後の明治15年に完成。不毛といわれた土地には多様な食文化と新産業が興ったのです。
 歴史に「もし」は禁物ですが、山吉県令の尽力がなければ、現在の郡山の発展はなかったかもしれません。いかなる難事業も、その成否は、大情熱を燃やした先駆者と共に、同じ心を持つ後継者がいるかどうかで決まるといえましょう。

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