2017年08月07日

「のれん」を守り継ぐ者

 江戸時代、「天下の台所」と呼ばれた大阪。中でも船場は、老舗が甍を争う商都の中心でした。「鴻池」「住友」「武田」など、ここで生まれ、今も歴史を刻む企業も多くあります。
 船場の老舗は「のれん」を重んじました。「のれんを継ぐ」「のれんを守る」――のれんは、守り継ぐべき「品格」「歴史」の象徴であったのです。
 「のれんを守る」ため、多くの商家が採ったユニークな仕組みがあります。「里子」と「お乳母どん」です。「里子」とは、跡継ぎを文字通り「里」、すなわち田舎の農家に10歳ぐらいまで預けることです。「里子」が無理な場合は「お乳母どん」。商家に女性が住み込み、10歳ぐらいまで育ての親になってもらうのである。「石津乳母」という言葉がありました。堺の小さな半農半漁の村だった石津から来た女性が、最適の育ての親といわれたのでこの名があります。
 農家を手伝い、額に汗して働く。育ての親から漁家の苦労を聞く。そうして、商家とは全く違う生業の大事さを知る。裕福とはいえない人生の日々の労苦を知る。その経験が、「のれん」を守り継ぐ者に必須の条件とされてきたのです。

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