2016年04月01日
危機を一気に打開した
初の国産旅客機「YS―11」の就航から、きょうで51周年です。日本の空を日本の翼で――国民の期待を集めた開発は、戦後復興を象徴する一大プロジェクトでした。
開発の最終盤、操縦に関する致命的な欠陥が浮上しました。国際的な権威を持つ米国の機関に不適格の判断を示され、計画は暗礁に。マスコミから批判され、受注契約も減少する。この最大の難局を打開したのは、若い一技術者でした。
彼が外国の航空雑誌を読んでいた時のこと。ある記事が目に留まった。本格的な技術論文ではなく、一般に市販される本の、操作性の改善方法について概説した、たった数行の記述でした。それは、経験豊富な先輩たちが、はなから選択肢からはずしていた方法でした。
だが、その数行に示された方法が、危機を一気に打開したのです。中心者の一人が述懐しています。「大学を出て、ほんの数年しかたっていない彼らだが、よく働いた。困り抜いているときだったから、見過ごしそうな数行にもピンと閃いたのだね」(前間孝則著『YS―11』講談社)
開発の最終盤、操縦に関する致命的な欠陥が浮上しました。国際的な権威を持つ米国の機関に不適格の判断を示され、計画は暗礁に。マスコミから批判され、受注契約も減少する。この最大の難局を打開したのは、若い一技術者でした。
彼が外国の航空雑誌を読んでいた時のこと。ある記事が目に留まった。本格的な技術論文ではなく、一般に市販される本の、操作性の改善方法について概説した、たった数行の記述でした。それは、経験豊富な先輩たちが、はなから選択肢からはずしていた方法でした。
だが、その数行に示された方法が、危機を一気に打開したのです。中心者の一人が述懐しています。「大学を出て、ほんの数年しかたっていない彼らだが、よく働いた。困り抜いているときだったから、見過ごしそうな数行にもピンと閃いたのだね」(前間孝則著『YS―11』講談社)
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