2014年02月09日

才知は一代、誠は世万代

 戦後、米国施政下の沖縄で、戦争によって激減した医師を補うために定められた医介輔制度は、終戦後の劣悪な状況にあった、へき地や離島の住民の命を支えてきました。
1952年(昭和27年)、医介輔の資格をもつ保健所職員として西表島に赴任した故・親盛長明さん。13歳のとき、事故で右腕を失ったが、ハンディを乗り越え、医療の仕事に就きましい。親盛さんに命を救われた島民も少なくない。
当時の島の生活は困窮を極め、往診や診察時に、治療費をもらえることは、ほとんどなかったそうです。親盛さんは、貧乏に苦しむ患者について「同じ気持ちにならなければ、治療に当たることはできない。自分が医療者だからと高みに立てば、患者の心は閉じてしまい、治療にならなくなる」と話しています。この「医は仁術」さながらの心は、今も多くの人々の心に残っています。
沖縄のことわざに「才知は一代、誠は世万代」(才知で得たものは、せいぜい一代限りであるが、誠実の心は万代に及ぶ)とあります。

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