2012年11月08日
本音と建前
「建前なんか捨てて、本音で生きよう」と、人はしばしば口にします。それに対して、ジャーナリストの花森安治氏は「建前と本音というが、建前は通すべきである。本音とは弱音のことだ」と指摘しています。
花森氏のいう「建前」とは、自らの日常を律する規範。「本音」とは、ついポロリとこぼれ落ちるグチや不満……。日本人のそんな心の内側を、花森氏は鋭く見抜いたのでしょう。
本音が〝弱音″になってしまうのは、心が後ろ向きだからにちがいありません。逃げ腰ならば、ちょっとした困難もグチの種になりがちです。建前が窮屈に感じられるのも、いやいや従わねばならぬ〝外的規範″と受け止めているからでしょう。そもそも、建前と本音に二極分解している心の状態こそが、問題なのです。
花森氏のいう「建前」とは、自らの日常を律する規範。「本音」とは、ついポロリとこぼれ落ちるグチや不満……。日本人のそんな心の内側を、花森氏は鋭く見抜いたのでしょう。
本音が〝弱音″になってしまうのは、心が後ろ向きだからにちがいありません。逃げ腰ならば、ちょっとした困難もグチの種になりがちです。建前が窮屈に感じられるのも、いやいや従わねばならぬ〝外的規範″と受け止めているからでしょう。そもそも、建前と本音に二極分解している心の状態こそが、問題なのです。
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