2012年07月27日

主役は「青年」

 日本史上、まれにみる激動期、それは江戸時代の幕末から明治維新の時でしょう――その主役は「青年」でした。とともに、多く犠牲となったのも「青年」でした。
 血気にはやり、いかにあまたの若者が命を散らしました。が、他方、はるか離れたフランスの地で勉学に励む、27歳の青年もいました。彼は後に“日本資本主義の父”と呼ばれた渋沢栄一です。
 渋沢栄一はパリ万博参加の一行に加わり、渡仏しました。同輩が祖国の激震に浮足立つなか、栄一は「専心修学」に徹しました。一心不乱に近代国家形成の基礎となる政治・経済・法学などを学びに学びました。欧州滞在は維新前後の2年に及んでいます。
 「向後(=これから)外国の学問がますます必用(=必要)になって来るに相違ない」「禍乱を避けてその間に学問の修業が出来るというもので、実に天来の僥倖」(『雨夜譚』岩波文庫)と、後に彼は語っています。心血を注いでの刻苦勉励の日々は、やがて日本社会を支える「民業」育成への大きな力となりました。

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