2018年09月24日

実質2年4カ月

 161年前の幕末。8畳一間の「松下村塾」には多くの青年が入塾しました。しかし吉田松陰が教えた期間は実質2年4カ月です。門下には町民や農民の子もいた。なぜ短期間で逸材が育ち、日本を動かす力になったのでしょうか。
 当時27歳の松陰は“草莽崛起”の思想を持っていました。これは“時代を変革するのは支配層ではなく庶民”との意味です。小山良昌氏は「国のために至誠を貫く松陰の立志が、庶民を“行動する志士”に育てた」と語っています。

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