2018年09月12日

創価の師弟に流れる平和への信念

  米国統治下の沖縄には1300発もの核兵器が置かれ、“世界最大級の核拠点”でした。
 核兵器が配備された場所が、恩納村の創価学会沖縄研修道場にあるメースBミサイルの発射台跡もその一つでした。メースBミサイル基地は、1960年代初頭から沖縄県内の4カ所に配置されました。69年に撤去が始まりますが、唯一、原形をとどめているのが道場内の発射台跡です。
 83年、同地を初めて訪れた池田先生は、取り壊しが検討されている現場を視察し、「基地の跡は、永遠に残そう」と提案。“戦争の象徴”は「世界平和の碑」として生まれ変わったのです。
 2000年に同地を訪れたノーベル平和賞受賞者のロートブラット博士は語りました。「戦争の基地を平和発信の施設に――常に平和を志向していないと思い浮かばない発想です」と。
 戸田先生の原水爆禁止宣言から61年。創価の師弟に流れる平和への信念を、未来へ伝える誓いを新たにしたいですね。


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