2018年07月15日

ぜひ描きたいと思った

 幼少の頃に戦争体験を持つ壮年の話です。
 ある日、学童疎開先に東京の母親から荷物が届いたそうです。中身の粗末な衣類には、かわいい動物が刺繍されていました。家族と離れ、さびしがるわが子を直接、抱きしめることはできない。その代わり、一針一針に込めた愛情で包み込んであげたい。そんな母の思いが伝わる縫い目に勇気がわいた、と語っています。
 焦土と失意の戦後に、子どもたちに勇気と希望を届けたのは少年少女雑誌でした。創価学会の池田先生も若き日、恩師が経営する日本正学館で、「冒険少年」(後に「少年日本」と改題)の編集長を務めました。「子どもたちに偉大なる夢を贈りたい」。池田先生の情熱に共感した一流の作家陣が筆を執り、挿絵も錚々たる顔ぶれが腕を振るいました。
 その雑誌の名は、手塚治虫氏が生前、「ぜひ描きたいと思った」と語り、関係者の間で“幻の雑誌”と深く記憶に残る「冒険少年」です。

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