2018年05月22日
詩人ミルトン
17世紀の英国の詩人ミルトンは43歳の時、両目の視力を失いました。共和派と王党派が対立する中、共和派を擁護していたミルトンは、王党派の論客から失明を嘲笑されました。さらに数カ月後、妻と1歳の長男が相次いで亡くなったのです。
光を失っても詩人は静かに忍耐し続けました。「盲目であることは、盲目に堪えきれないほどにみじめなものではない」(宮西光雄訳『ミルトン英詩全訳集 上巻』)と。困難それ自体は不幸ではない。困難に屈し理想を捨てることが、彼にとっては不幸だったのです。
ミルトンは生涯で多くのソネット(14行詩)を残していますが、代表的な作品は失明後、口述筆記によって生まれました。失明から15年後には大著『失楽園』が完成。苦境の中で詩人としての深みが増したといえましょう。
光を失っても詩人は静かに忍耐し続けました。「盲目であることは、盲目に堪えきれないほどにみじめなものではない」(宮西光雄訳『ミルトン英詩全訳集 上巻』)と。困難それ自体は不幸ではない。困難に屈し理想を捨てることが、彼にとっては不幸だったのです。
ミルトンは生涯で多くのソネット(14行詩)を残していますが、代表的な作品は失明後、口述筆記によって生まれました。失明から15年後には大著『失楽園』が完成。苦境の中で詩人としての深みが増したといえましょう。
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