2015年06月24日

仏法の「依正不二」の視点で見れば

 レイチェル・カーソンの環境問題の古典『沈黙の春』が、米国の雑誌に掲載されたのは、1962年6月のことです。半世紀を経ても同書が色あせないのは、「自然破壊への警告」を超えて、「あるべき人間の生き方」を問いかけるからでしょう。人間と環境は影響し合うという仏法の「依正不二」の視点で見れば、環境破壊は、すなわち人間の驕りの表れです。一方、自然との共生は、よりよい生き方を開いていくのです。
 作家の野添憲治氏がまとめた『聞き書き 知られざる東北の技』(荒蝦夷)に、銘木づくりの匠の話があります。加工後の利益を見込んで丸太を買う。まれに値踏みが外れることがある。その際、反省すべきは損をした時ではなく、想定外の利益を出した時だという。
 人間が生きる何倍もの時を、大地に根を張り、風雪に耐えてきた木と向き合えば、おのずと畏敬と謙虚の念が生まれる。その木から不相応な利益を得ることに、恥ずかしさを覚えるのだと、銘木づくりの匠はつぶやいています。

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人間が生きる何倍もの時を、大地に根を張り、風雪に耐えてきた木と向き合えば、おのずと畏敬と謙虚の念が生まれる。その木から不相応な利益を得ることに、恥ずかしさを覚えるのだと、銘木づくりの匠はつぶやいています。
Posted by モンクレールダウン at 2015年06月27日 19:52