2015年04月28日

黒田官兵衛

 戦国時代きっての名軍師・黒田官兵衛。彼が33歳のころ、織田信長に反旗を翻した武将のわなに陥り、1年間、牢獄につながれました。暗がりで耐える失意の天才を励ましたのは、獄窓から見える藤の花。出獄した官兵衛は、豊臣秀吉のもとで、才能を一気に開花させ、天下統一を助けていくのでした。
 その数奇な生涯を、武者小路実篤、坂口安吾、菊池寛、司馬遼太郎ら、多くの文人が題材としました。吉川英治氏は、彼が家紋を「藤巴」に改めた理由を、こう語らせている。「心に驕りの生じたときは、すぐ伊丹の獄窓を思い出すように、と希う心からでござります。――あのころ、日々、仰ぎ見ては、心に銘じた獄窓の藤花こそ、申さば官兵衛の生涯の師」と。小説『黒田如水』の最後の場面です。
 山があれば、必ず深い谷がある。喜びばかりという人生はない。必ず辛酸をなめる時がある。その時に見たもの、感じたものを忘れず、自分を磨き続ける糧としていけるか。そこに、輝きの人生を送る鍵があります。吉川氏の有名な言葉”苦に徹すれば珠と成る”には、そんな意味も込められているのでしよう。

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