2018年11月10日

人生の重みです

 映画「幸福の黄色いハンカチ」が初出演作だった武田鉄矢さんは、撮影中、よく叱られたそうです。「俺ばっかりいじめるんですよ」とこぼす武田さんを、主演の高倉健さんが励ました。「伸びないやつは、しごかないんだよ」と。
 高倉さんも、大学卒業後に入った俳優養成所では落ちこぼれだったそうです。「他の人の邪魔になるから見学していてください」と苦言されたこともあったそうです。それでも母からの「辛抱ばい」との言葉を支えに、映画界で不動の地位を築いたのです。
 不思議にも、同じ11月10日に世を去った高倉さん(2014年)、森光子さん(12年)、森繁久彌さん(09年)といった名優には皆、不遇の下積み時代がありました。先の高倉さんの言葉の重みは、大スターゆえではないだろう。辛酸と苦闘の青春時代を、貴重な芸の肥やしに転じながら、演技の新境地を開いた人生の重みです。  

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2018年11月09日

最盛期は100万石を超えたといわれています

 東北が穀倉地帯となったのは、何百年にもわたる、たゆまぬ努力のたまものです。江戸時代、伊達家の仙台藩は「伊達の国柄」といわれました。「国柄」とは、農産物が豊かで国が富んでいることです。仙台藩は、表高は62万石でしたが、最盛期は100万石を超えたといわれています。
 原動力は藩祖・政宗の情熱でした。関ケ原の戦いの後、家康に領地加増の約束をほごにされ、〝生産量では日本一になってみせる〟と挑戦を開始する。新田開発を奨励し、北上川の流れを付け替え、人材を登用して洪水対策も行い、豊作を実現する。このコメが巨大都市・江戸を支え続けたのです。
 だが政宗は「国」の豊かさだけを追ったのではありません。家臣をこう戒めた。「古歌に『人は堀人は石垣人は城情けは味方怨は大敵』とある。これはまことのことだ」(岡谷繁実著/北小路健・中澤惠子訳『名将言行録 現代語訳』)納得!!  

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2018年11月08日

前に進んできました

 「すぐに諦めずに『それでもなお』との信念で、前に進んできました」――元東レ経営研究所社長の佐々木常夫さんは、聖教新聞の「幸齢社会」の紙面で、こう語っています。
 自閉症の長男、肝臓病とうつ病を患った妻を抱えての多難な生活。佐々木さんは午前5時半に起床して3人の子どもの朝食と弁当を作り、8時に出勤。全力で業務をこなし、午後5時には退社する日々を送りました。
 度重なる転勤や破綻会社の再建等で多忙を極めながらも、佐々木さんは同期トップで東レの取締役に就任。その原動力こそ、逆境にあって「それでもなお」と挑む信念だったのです。  

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2018年11月07日

注目すべき動きが

 アメリカのニューヨーク。文化や経済など、しばしば最先端の潮流が起きるこの巨大都市で、注目すべき動きが見えるそうです。
 本や雑貨は、インターネットで購入、音楽はダウンロードするという動きが10年ほど前から始まりました。このため、街の書店、レコード店(CDショップ)が次々と閉店を余儀なくされた。しかし、今、その逆の動きが著しいそうです。
 小さなレコード店、書店が、次々と開店しだししました。その多くに共通した特徴があります。売り場のなかに、近隣の人たちが本を読んだり、音楽を聴いたりしながら、コーヒーを飲んで、自由に語り合うスペースが設けられているのです。コミュニケーション、地域の人とのつながりの「拠点」として、店を利用してもらおうというのです。
 アメリカのシアトルというと、世界中に展開するコーヒーチェーンが有名ですね。そのシアトルでも、数年ほど前から、同じような変化の動きがあるそうです。チェーン展開する店ではなく、小さな店を地域住民の居場所にして、顔なじみの人たちに、丁寧にコーヒーを入れるスタイルが流行しているようです。
 ゆっくりとコーヒーを味わいながら、本を開き、音楽を聴く。そして、人とのつながりを慈しむ。「心の幸福」に重きをおく――そんな時代が始まりつつある予感がしませんか。  

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2018年11月06日

具体的に教え、共に動くことにリーダーの役割がある

 ある企業のリーダー研修会で、講師が呼び掛けました。「ドイツ語で『かえるの合唱』を歌いましょう」と。
 きょとんとする参加者に、「大丈夫。やればできる!」と何度も促す。しばしの沈黙。そして講師がほほ笑んだ。「いくら励まされても、できないものはできないですよね。ドイツ語の歌詞を教えてもらったり、一緒に歌ってもらったりしないと」。すなわち、経験の浅い部下に何か新しいことに挑戦させようとしても、ただ励ますだけでは、多くは「自分には無理」と思ってしまう。具体的に教え、共に動くことにリーダーの役割がある――と。そうですね!!  

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2018年11月05日

どうしたら“親友”を見つけられますか?

 どうしたら“親友”を見つけられますか?――ある学生からの質問に、漫画家の赤塚不二夫さんが答えました。「まずはっきり人生の目標を決めることだ」と。
 どんな目標でもいい。達成に向けて真剣に挑戦する中で、自分と同じ志をもつ人と自然に出会う。その仲間こそが、かけがえのない存在になると、赤塚さんは熱く述べています(『人生これでいいのだ‼』集英社文庫)
 赤塚さんは巨匠・手塚治虫氏を慕い、多くの“漫画家の卵”が集まったアパート「トキワ荘」に住んでいました。切磋琢磨したのは、石ノ森章太郎氏、藤子・F・不二雄氏、藤子不二雄Ⓐ氏ら。トキワ荘を巣立った後も彼らの友情は変わることなく、互いに触発し合いながら、数々の名作を世に送り出していったのです。
  

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2018年11月04日

翻訳の戦い

 仏典の翻訳は至難の作業だそうです。言語への習熟はもとより、経典の心に肉薄する努力、異文化への理解が必要となるからです。香港中文大学の饒宗頤博士は、経典写本は「数え切れぬ人々の智慧と信仰、そして希望の結集」と述べています。
 創価学会はこれまで識者の協力を得て、法華経を英語、イタリア語、タイ語などで発刊しています。日蓮大聖人の御書も10以上の言語で刊行してきました。言葉や文化の差異を超え、大聖人の精神をどう正しく、分かりやすく伝えていくか――各国の友と語り合うたび痛感するのは、広宣流布とは一面で「翻訳の戦い」であるということだそうです。  

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2018年11月03日

桂冠詩人

 「詩」を表す英語「ポエム」は、ギリシャ語が語源。“創り出す”などの意味があります。詩作とは、新たな価値を創造する営みといえましょう。
 1981年(昭和56年)、世界芸術文化アカデミーから創価学会の池田先生に「桂冠詩人」の称号が贈られ、今年で37周年を迎えました。「桂冠詩人」として池田先生が最初に作った学会歌は、11月に四国で誕生した「紅の歌」。最初に詠んだ長編詩は、翌12月に九州で発表された「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」でした。
 この事実は、約600編、14万5000行を超える池田先生の詩業を象徴するように思えてならない。人間の尊厳を踏みにじる魔性との“闘争宣言”であり、悩める同志に希望を送る“励ましの炎”であり、人間主義の世紀を照らし出す“未来への指標”である。
 池田先生は詠んでいます。「真の詩人とは/戦う人間の異名なるか/真の詩心とは/正義の闘魂の異名なるか」。真の詩心とは、他者のために行動する人の胸中に湧き上がる、生命の躍動そのものなのだ。
 「桂冠」は「月桂冠」と同義です。古代ギリシャで、月桂樹の枝葉を冠として、競技の優勝者に贈られた“「勝利者」の証し”です。師の闘争に連なる誇りを胸に、わが人生に堂々たる“勝利の証し”を刻みたいものですね。  

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2018年11月02日

一生懸命、頑張っていれば、誰かが見ていてくれる

 「お笑い芸人の出川哲朗さんを見ると、どんな嫌なことがあっても吹き飛びますね」と若者が語っています。
 「ヤバイよ、ヤバイよ」の決まり文句で、ザリガニのはさみで鼻を挟ませたり、言葉の通じない国で買い物をしたりするなど、体当たりで笑いを届ける出川さん。今やバラエティー番組には欠かせない存在です。
 かつては“嫌われタレント”と見られていたこともありましたが、最近は“子どもが尊敬する人物”に名前が挙がっています。そんな彼を支えたモットーは「一生懸命、頑張っていれば、誰かが見ていてくれる」納得!!  

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2018年11月01日

人の心を前へ進ませる力

 小説家の川端康成氏がある日、青年映画監督として活躍していた篠田正浩さんを、鎌倉の自宅に招きました。理由は、日本映画の新たな動きについて聞きたかったらしいようです。
 30も年下の青年の話を聞く間、大文豪はずっと正座を崩さなかった。辞去しようとすると、「いや、まだまだ話してください」と請うたという。のちに篠田さんが、ラジオのインタビューで語った思い出です。老境に入っても貪欲な求道心が、若い篠田さんには鮮烈だったのでしょう。
 幾つになっても成長への意欲を失わない人には、人の心を前へ進ませる力があります。  

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