2018年11月18日
報恩と誓願を胸に学会創立の日から出発していきます
恩師・戸田先生が池田青年に万般の学問を教授した「戸田大学」。当初、日曜日に行われていた講義は、1952年(昭和27年)から、戸田先生の会社の事務所でも始業前に開かれ、57年(同32年)まで続きました。
戸田大学の薫陶は広布の激闘の中で行われた。57年10月18日、池田先生は「大阪事件」の初公判に出廷。その翌日、翌々日と関西の同志を激励し、夜行列車で21日の午前7時半に帰京。この日はそのまま、日本史の講義を受けています。
戸田先生は「命に刻め」と、講義の内容を書き取ることを許さなかったそうです。池田青年は恩師の言々句々を海綿のように吸収し、自らの魂に刻みました。講義を共に受ける機会のあった婦人は、“咳をするのもはばかられるほど峻厳な雰囲気でした”と証言しています。
今、世界に広がる創価の平和・文化・教育の大道は戸田大学に全ての礎があったといえましょう。「師弟」という関係は、常に弟子の側が「師を求める」ことから始まります。師弟に生きる人生が、いかに力強く、豊かで、喜びに満ちているか――それを池田先生は身をもって示してきました。
61年前のきょう11月18日、池田先生は日記につづっています。「師恩は、山よりも高し。海よりも深し」「偉大なる師の歴史を世界に示さん」。私も、報恩と誓願を胸に学会創立の日から出発していきます。
戸田大学の薫陶は広布の激闘の中で行われた。57年10月18日、池田先生は「大阪事件」の初公判に出廷。その翌日、翌々日と関西の同志を激励し、夜行列車で21日の午前7時半に帰京。この日はそのまま、日本史の講義を受けています。
戸田先生は「命に刻め」と、講義の内容を書き取ることを許さなかったそうです。池田青年は恩師の言々句々を海綿のように吸収し、自らの魂に刻みました。講義を共に受ける機会のあった婦人は、“咳をするのもはばかられるほど峻厳な雰囲気でした”と証言しています。
今、世界に広がる創価の平和・文化・教育の大道は戸田大学に全ての礎があったといえましょう。「師弟」という関係は、常に弟子の側が「師を求める」ことから始まります。師弟に生きる人生が、いかに力強く、豊かで、喜びに満ちているか――それを池田先生は身をもって示してきました。
61年前のきょう11月18日、池田先生は日記につづっています。「師恩は、山よりも高し。海よりも深し」「偉大なる師の歴史を世界に示さん」。私も、報恩と誓願を胸に学会創立の日から出発していきます。