2017年12月11日

日中友好は必ずできる

 『訪日中国人、「爆買い」以外にできること』(日本僑報社)。これは、中国で日本語を学ぶ学生を対象とした「中国人の日本語作文コンクール」の第12回受賞作品集です。この中には過去最多の5190本の応募作から、優秀作81本が収められています。
 最優秀賞に輝いた大学生の白宇さん。入学当時、日中関係が冷え込んでいたこともあり、日本語専攻をやめようと考えていたそうです。だが、2人の日本人教師との出会いで変わりました。「今年、私は大学院へ進学する。専門は日本語。今なら相手が誰であろうと、私は胸を張って言える。『私の専門は日本語です』と」。
 コンクールの主催者で、民間交流を通して日中友好に尽力する日中交流研究所の段躍中所長は断言しています。「一人の力は小さいかもしれませんが、両国民が民間レベルで力を合わせれば、日中友好は必ずできる」と。  

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2017年12月10日

NEMAWASHI

 年の瀬の慌ただしい中、つい「忙しい」と口にしがちですね。しかし、外資系企業のトップを歴任した新将命(あたらし・まさみ)氏は、積極的な言葉への言い換えを勧めています。「忙しい」は「充実している」と、自らを励ますように。
 他にもあります。うまくいかない↓成功の途中だ。嫌い↓魅力を発見しよう。時間がない↓時間をつくろう。疲れた↓よくがんばった。氏はこのことを、近著『世界標準のNEMAWASHIの技術』(CCCメディアハウス)で強調しています。
 悪いイメージのある日本的な「根回し」。だが、対話による合意形成の意味では評価すべきで、氏はこれも、「NEMAWASHI」と表現の転換を試み、世界で通じるコミュニケーション能力を磨こう、と同書で訴えています。  

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2017年12月09日

成果を急がず

 朝晩の冷え込みが日ごとに強まってきました。健康のために体を動かした方がいいとは思いつつ、外に出るのも億劫になりがちの人も多い事でしょう。
 日本体育協会公認アスレティックトレーナーの西村典子さんによれば、実は寒い時季ほど運動効果が出やすいと語っています。それは、外気で冷やされた体が体温を維持しようと多くのエネルギーを消費し、基礎代謝量が上がるからだそうです。
 とはいえ、特別な運動をする必要はないそうです。例えば、普段より少し遠い店で買い物をするとか、最寄りの一つ前の駅で下車して歩くなど、ちょっとした工夫でいい、と。
 体内では緩やかでも確実に変化が起きるそうです。成果を急がず、日常生活の中に運動を組み込むことが大切だと語っています。  

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2017年12月08日

歴史が動く瞬間

 時間をきっちり守る男が、彫刻家のアトリエに招かれました。約束の時刻に着いたのに、彫刻家は外出からまだ帰っていませんでした。ふと、そばにあった本を手に取る。読みだすと、たちまち引き込まれた――これは、作家ツヴァイクが、ロマン・ロランの小説『ジャン・クリストフ』と出あった瞬間です。
 この偶然の巡り合いを経て、後にロランはツヴァイクにとって人生最良の友となりました。芸術家には、ひらめきをつかみ、美を創造する瞬間があります。同じように、歴史にも決定的な時があるのです。それをツヴァイクは「人類の星の時間」と呼びました。星の瞬きのように鋭い光を放つ、歴史が動く瞬間であると。  

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2017年12月07日

ありがとう

 テレビを見て、少年がつぶやいたそうです。「僕も、こんな主人公みたいに偉くなりたいなあ」。それを聞いた祖母が言ったそうです。「人として本当に偉いのは、みんなに、『ありがとう』と感謝できる人だよ」と。
 少年は、一人で「ありがとう運動」を始めました。自分が起きる前から朝ご飯を用意してくれるお母さん。体操着を真っ白に洗ってくれるおばあちゃん。夜遅くまで働くお父さん……皆にお礼を言うと、家族全員が笑顔になった。少年は、その日の日記に書いたそうです。「僕の毎日は『ありがとう』でできている」と。  

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2017年12月06日

一字、一語に込めた思い

 女優・岡田茉莉子さんの「茉」の字の下部分は、上の横棒が長い「末」が正しいそうです。だが、新聞などに下の方が長い「未」で、よく載りました。芸名の名付け親である谷崎潤一郎は、それを見るたび、岡田さん本人に苦言の手紙を送ったという(川本三郎著『君美わしく』文春文庫)
 岡田さんに咎はないが、文豪は黙っていられなかったようだ。「言葉の力」を信じる人には、一字、一語に込めた思いをゆるがせにしない信念があるのです。  

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2017年12月05日

華やかな舞台の裏で

 歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんは当代一の女形です。流麗な舞は海外からも高い評価を得ていることはご存知でしょう。
 しかし坂東さんが若い頃は、舞台に立つと笑い声が起きたそうです。身長173センチと、女形としては背が高過ぎたためでした。悩みつつ、長身だった過去の女形の写真を見て研究。着物の内で膝を折り、低く見せることを思いついたのです。体への負担は大きかったが一心に稽古に打ち込み、低い姿勢で踊れるようになりました。後に彼は「人間国宝」に認定されたのです。
 女形には不向きな体形だからこそ、芸が深まり、洗練されたともいえます。一流の域まで実力を高めた人は、華やかな舞台の裏で人一倍の努力を忘れないものなのです。  

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2017年12月04日

紅白歌合戦

 年末恒例の「紅白歌合戦」。当初、この紅白は「正月のラジオ番組」だったそうです。テレビに切り替わると同時に大みそかへと変更され、日本を代表する“年の瀬の高視聴率番組”となりました。
 近年はテレビ離れも言われますが、紅白を見ないと年が越せないという人は多い事でしょう。歌には時代や世相を映し、希望を送る力があるのです。  

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2017年12月03日

ヒロシマ・ガールズ

 「原爆乙女」とは広島で被爆した独身女性を指します。3000度の熱線は、白い肌にケロイド状の傷痕を残しました。「ピカ(原爆)に遭うた女は結婚できん」。偏見、差別、中傷。世間の心ない視線の中で、彼女らは口を閉ざしたのです。
 被爆10年後の1955年。25人の被爆女性がケロイド治療のため米国に渡りました。「ヒロシマ・ガールズ」と呼ばれた彼女たちは、原爆の残酷さを米国民に伝え、世論に大きな影響を与えることになりました。日本でも原爆被害者支援の機運が高まり、57年に原爆医療法が制定されたのです。  

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2017年12月02日

昔はよかった

 何かと友人に会う機会が増える師走がやってきました。同窓会などで懐かしい顔が集まれば、話は尽きませんね。忘れかけていた思い出や青春の日々がよみがえります。いきおい、“昔はよかった”という話にもなる事でしょう。
 ただし、若い人が一緒の時は、少し配慮が必要だそうです。哲学者バートランド・ラッセルは、旧友と語らい、「古い果敢だった出来事を思い出す喜びは格別」とする一方、若い人にとって、これらの“自慢話”は「まったく滑稽で退屈である」と述べている(『人生についての断章』みすず書房)。
 ちょっと手厳しいですが、現実には違いありませんね。  

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2017年12月01日

いくつになっても

 現代を代表するピアニストの一人、ジャン=マルク・ルイサダ氏が、17歳の時のことです。レッスンを受けるため、パリ音楽院の老教授の自宅に通っていました。ある日の夜、教授宅のドアの呼び鈴が鳴りました。
 入ってきた人物を見てびっくり。ヴラド・ペルルミュテール氏でした。彼は20世紀のフランスが生んだ大ピアニストです。大作曲家ラヴェルのピアノ曲では「模範」の弾き手との評価が確立していました。
 その「大ピアニスト」が姿勢を正して、老教授に向かったそうです。「ロンドンでショパンの練習曲集を弾くので、教えていただけますか」。老教授とは、マルセル・シャンピ氏です。年齢は85歳。ペルルミュテール氏はこの時70歳でした。
 師弟の峻厳さ、いくつになっても、学び続けることの大切さを、17歳のルイサダ氏は感じたと述懐しています。  

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